勅使川原三郎「ガラスの牙」 @新国立劇場

勅使川原三郎ガラスの牙(新国立劇場)を観劇。
 昨年の「KAZAHANA」も「Bones in Pages」の改訂版も見逃しているので、随分ひさしぶりの勅使川原三郎である。それだけに期待が大きすぎたせいもあるのかもしれないが、一幕が終わって茫然とした。ひどい、どうしちゃったんだろう。気を取り直して、第二幕を見て、最後のソロのところなどはやはりダンサーとしての勅使川原三郎はさすがのものがあるとは思ったが、全体としての評価は変わらず。作品になっていない。到底、つい数年前にあの傑作「Luminous」を作った人と同じ人の手による作品とは思えない。「本当にどうしちゃったんだろう」という感じなのである。
 誤解のないようにまず断っておくが、勅使川原は私にとって日本人の振付家としては数少ないワールドクラス。W・フォーサイスピナ・バウシュ、ケースマイケル(ローザス)ら巨匠たちと並ぶ才能を持った人だと思っている。だからこそ、今回の「ガラスの牙」は納得できる出来栄えのものとは思えなかった。もちろん、「ガラスの牙」の表題になったと思われる地面に置かれた大量のガラスの破片の上でそれをばきばきと音をさせて砕きながら踊る場面をはじめ印象的な場面もあるのだが、勅使川原らしくないのは場面と場面のシークエンスのつなぎ方がゆるすぎて、舞台全体を通しての大構造のようなものが浮かび上がってこずに印象がきわめて散漫なことだ。
 ラストのソロは感心したが、これも「Luminous」や「Raji Pachet」のラストと同工異曲の感は否めず、作品のモチーフが全く違いそれゆえに方向性が明らかに違うはずのこの作品でなぜ最後のソロがああなのかということに対する必然性がまったく感じられないことがやはり致命的である。あのラストは作品としては違うんじゃないかと思ってしまった。
 
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