レニ・バッソ「パラダイスローグ Paradiselogue」@パークタワーホール

レニ・バッソ「パラダイスローグ Paradiselogue」(パークタワーホール)を観劇。
北村明子2年ぶりの新作ということだが、実はワーク・イン・プログレス公演*1は以前に見ていることに気がついた。今回は月末に予定されている「ゴーストリーラウンド」と続けての2作品連続上演となり、レニ・バッソの動向全体についての詳しいことはそれを見てから書き込むことにしたいが、カッコいい系ダンスの代表、クールな感覚と称せられた「Finks」以前の作品とそれ以降の「エレファントローズ」「ゴーストリーラウンド」「パラダイスローグ Paradiselogue」はやや作品が違ってきているように思われた。
 映像、音楽、照明などのスタッフが単なるスタッフとしてだけではなく、アーティストとしてコラボレーション的にかかわり、作品製作をしていくマルチメディアパフォーマンスという基本的なラインは変わらないのだが、例えば「Finks」なんかだと映像、照明によって区切られた空間のなかにパフォーマー幾何学的に配置され、お互いの領域をぎりぎりで侵犯するようなムーブメントを繰り返すことで、人間のコミュニケーション/ディスコミュニケーションのあり方をビジュアル化しようという作業が、かなり概念的、抽象的なレベルで行われているのに対して、この「パラダイスローグ Paradiselogue」は映像にしてもダンサーのムーブメントの様相についてもより具象的である。ただ、見ている時には気がつかなかったがここで書いているうちに気がついたのは表面上の印象が大きく異なるのにもかかわらず「人間のコミュニケーション/ディスコミュニケーションのあり方をビジュアル化しよう」というモチーフ(主題)はこの作品でも継続しているということがあり、おそらくこれが北村のライフワークとしての主題ということになるのだろう。
 「Paradiselogue」という作品名は念のためにGoogleなどで検索してみたのだが、海外の無関係なサイトにいっさいひっかからないから、おそらく「Paradise(=天国)」と「dialogue(=対話)」を組み合わせて作った北村による造語なのであろう。もっとも、前回作品の「Elephant Rose」では表題からして当然そうだと考えていた私の解釈が北村本人によりあっさりと否定されてしまって唖然とさせられた経験もある*2ので、絶対そうだとまでいいきれないけれど、今度こそ間違いないという自信はある(笑い)。
 舞台の後方には横長のスクリーンがあり、また天井にも左右にひとつづつこちらは円形のスクリーンが配置されていて、ここに映像が映し出される。このうち円形のスクリーンにはそれぞれのスクリーンに1匹ずつ、向かい合った2匹の金魚が登場して、これが機械の合成音を思わせるような声(音声)でぎごちない会話をはじめるところから作品はスタートする。