ダンスについての一連のやりとり(その2)

ここ数日本当に忙しくて全然続きが書けないでいたら、先日桜井圭介氏が書いた文章に対して、乗越氏が反撃を始めていた。
桜井圭介さんの文章 http://d.hatena.ne.jp/sakurah/20081216
乗越たかおさんの文章 http://d.hatena.ne.jp/nori54/20081220
まあ、本人のことも知っているので、この人は売られた喧嘩は買うよな、それが彼のスタイルでもあるし(笑)。ただ、やはり残念なのは本当に重要なのはこの前に書きかけたように乗越氏と木村・桜井両氏のダンス観の違いであって、本来はそこにこそ議論の焦点は置かれるべきだったと思うからだ。乗越氏が雑誌に書いていた文章の論旨には私も最近感じている東京の一種の「踊らないダンス」が優勢な状況への批判あるいは問題提起があったはずで、桜井氏・木村氏が乗越氏の文章に対して過剰反応して、そこにいちゃもんをつけたい気分になっているのは、実名はだされてないけれど、そこで批判されているのは自分たちではないかという疑念がおそらくあるからであろう。そして、それに対しては乗越氏は 

桜井氏が「乗越はオレのことを書いているんじゃないか、オレは第一容疑者ではないか」と言っている根拠をよくよくみてみると、「そのときそこに自分もいたから」とか「乗越に批判されたダンサーを自分は以前から評価していたから」ということでしかない。……まあ何人たりとも夢見る権利を奪われやしないからね。

などと否定しているが、乗越氏が批判の対象として念頭に置いているのが、実際に桜井氏であるかどうかはどうでもいいことではないだろうか(当事者には気になるかもしれないけれど)。本当に重要なのはどうやら桜井氏の「コドモ身体」に代表されるようなダンスが中心に置かれつつあるようにも見える現在の東京のダンス情況に対して、乗越氏が批判の矢を向けていることだ。
 「コドモ身体」については私はそういうものもあっていいとは思うけれども、あくまで正統なものに対するカウンターカルチャー的に存在すべきものでこれが主流となるとするとやはりこれは異常だと思う。さらにその概念についても、ここでも再三にわたり書いているように「ノイズ的身体」のようなもう少し広いとらえ方が必要ではないかとも思っている。
 現在の東京のダンス状況は世界のなかで見ると東京だけに見られる特異現象で、例えば同じコンテンポラリーダンスであってもムーブメントオリエンテッドなものが主流をなしてきた関西のダンスとはまったく違う流れのなかにあるものだ。むしろこちらの方がある種、ヨーロッパやアメリカなどの状況と共通の地盤を感じさせるものである、ということははっきり言えるのではないかと思う。
 そうした場合、本来はよって立つ地盤が違うのだからと「関西は関西」「東京は東京」とできればいいのだが、大きな問題は文化庁をはじめとする日本の助成金のシステムがどうしても東京での評価基準に偏ったものになっていることがある。
 そしてそうした弊害を本来、補完する機能を果たすべきトヨタコリオグラフィーアワードなども外国人の審査委員が「東京基準」とは違う選考をしてきてたことから、これまで激しい批判にさらされてきたという問題はある。私は以上の理由からトヨタアワードにおける過去の関西勢の優勢という実績はこうした東京・関西のいわばダンスのねじれ現象と関係があり、偶然というわけではないと考えている*1
 桜井氏が例えば

例えば、東野祥子に関する記述。トヨタアワードの打ち上げの席で東野に「イチャモンを付けたヤツ」がいたという。あの時の、並みいる有力候補を下しての「大穴」的受賞!という状況からしていかにも「ありそうな話」ではある。打ち上げ会場には僕も含め多くの「ダンス関係者」がいた。それで、現場に居合わせた者がこの記事を読んだ時、どういうことが起こるか? きわめて曖昧な記憶をたどり「あそこにはコイツとアイツとアレがいたっけな、あ、あの人もいたな、そういうことを言いそうなのはアレとアレかな、アイツかな?........」というなんともイヤーな「犯人探し」があちこち(脳内とは言え)で始まるかもしれない。あるいは、「オレのとこに出てから良くなった」と言ったとされる人物は誰か?を推測しようとすれば、一般読者でも、これまでの上演記録を調べるなどすることによって容疑者を数名にまで絞り込み可能である。その後は、いかにも「アイツ」なら言いそうだな、いや、「あの人」ということも考えられるな、という「なんとなく」レベルの話になってくる。犯人は特定不可能であるから、なおさらのこと、関係者数名は永久に「灰色」に止め置かれることになるだろう。

と乗越氏を批判しているが、これはもう犯人探しなんかしなくてもいいですね。乗越氏が誰のことを年頭に置いてこれを書いたのかは知りませんが、私自身は自分の耳で東京のダンス関係者があの人もこの人も、というか挙げるにことかかないほど大勢が彼女について批判的なことを言っていたのを聞いていますから。特定の個人の名前を挙げるのが意味ないほど大勢がです。その後、評価を変えた人のことは聞かないので、よく分かりませんが。

 さらに乗越氏は

オレは「東京など相手にしないで、各地から直接アジアや世界へつながっていくべき」だと提言しており、その実現のためには助力を惜しまないつもりだ。

と書いていて、それはそれでいいとは思うのだけれど、実際には日本のコンテンポラリーダンスはまだまだマイナーな存在で興行的には成り立ちにくいものであって、それゆえ、その活動において公的助成は重要であり、たとえ欧州である程度評価されていたとしても、それがフィードバックされて日本での評価(ということはすなわち東京基準での評価)につながらないと日本での活動の困難さは変わりないという状況があることも確かだということも確かなのだ。だから、むしろ気持ちは分かるけれど乗越氏には「東京飛ばし」なんてことは言わずに東京で頑張ってほしいのだけれど。
 さらに言えば私は乗越氏の尻馬に乗って桜井・木村両氏の批判をする気もないのだが、せっかくダンスについての見識を持っている人たちなのだから、乗越氏を批判するのじゃなくて、乗越氏がダンスについて書いていることについて批判があるのならばそれを批判して、論陣を張ってほしいものなのだが。
 

*1:むしろ、トヨタの問題は「東京基準」の最終選考ノミネートと「世界基準」の最終選考というダブルスタンダードによるねじれ現象にこそ問題があったのではないかと思っているが、それはまた別の話だ