シベリア少女鉄道スピリッツ「キミ☆コレ〜ワン・サイド・ラバーズ・トリビュート〜」@新宿タイニイアリス

出演:加藤雅人(ラブリーヨーヨー) 工藤史子 篠塚茜(シベリア少女鉄道) 高松泰治(ゴキブリコンビナート) 藤原幹雄(シベリア少女鉄道) 吉原朱美(本能中枢劇団)
脚本・演出:土屋亮一 舞台監督/上嶋倫子 谷澤拓巳 音響/中村嘉宏 照明/伊藤孝 美術/泉真 創作補佐・映像/冨田中理 演出助手/山本尚輝 制作助手/倉田亜友美 制作/高田雅士・保坂綾子 企画・製作/シベリア少女鉄道

 シベリア少女鉄道については2年前にヨーロッパ企画とのカップリングで演劇雑誌「悲劇喜劇」にシベリア少女鉄道ヨーロッパ企画*1を書いた。その時にやや結論めかして「欧米のリアリズム演劇に起源を持つ現代演劇においてはアウトサイダーと見える彼らの発想だが、日本においてこうした発想は実は珍しくないのではないか。鶴屋南北らケレンを得意とした歌舞伎の座付き作者は似たような発想で劇作したんじゃないだろうかということだ。舞台のための仕掛けづくりも彼らが拘りもっとも得意としたところでもあった。その意味ではこの2人は異端に見えて意外と日本演劇の伝統には忠実なのかもしれない」とその文章を結んだのだが、その後の2年間に特にヨーロッパ企画が上演した作品を通じて*2、歌舞伎とこの両者との関係性の深さは確信をもって語れる段階に入った。そして、その確信は今回このシベリア少女鉄道の新作「キミ☆コレ〜ワン・サイド・ラバーズ・トリビュート〜」を見てより一層深まったのである。
そのひとつがシベリア少女鉄道の作品にかならず登場する「ある種の構造的仕掛け」である。ミステリ小説になぞらえて考えればトリックのようなもの*3と考えてもらっていいのだが、シベリア少女鉄道の舞台には表面的に語られる物語(ナラティブ)と並行して、ある種の仕掛けが周到に準備され、作品の後半部分ではそれが衝撃的にその真の姿を現す。こういう仕組みとなっている。
今のところこの「キミ☆コレ〜ワン・サイド・ラバーズ・トリビュート〜」においてそれがどのようなものかえを明かすことはミステリ小説において犯人をいきなり言ってしまうのに等しいので現時点では伏せざるをえないのだが、これまでの作品同様にこの作品にもそういう仕掛けが存在していることは間違いない。
 歌舞伎との関係性の深さに言及したのはこういう「××と見えて、実は……」という構造は西洋起源の近代・現代演劇では稀ではあるものの、歌舞伎のような日本の古典的な芸能では特別なものではなかった。というのは平安時代の和歌における「本歌取り」の技法をはじめ、能楽狂言、歌舞伎のような芸能から茶道、華道にいたるまで日本の伝統的文化を通底するひとつの論理に「見立て」というものがあるからだ。
 「見立て」の辞書的な意味には「1. 物の様子を見て、価値や状態を明らかにすること。鑑定。2. ある物を見たときに、別の物を想起し対応付けること。」があるがここで言うのはもちろん、2の「ある物を見たときに、別の物を想起し対応付けること」である。

 そして、「見立て」はなにも日本社会において、伝統的な文化のなかにのみあるものではない。例えば日本のオタクに関する代表的論客のひとりである岡田斗司夫はその著書「オタク学入門」の中でこのように書いている。
「日本の文化には『見立て』いう言葉がある。たとえば日本庭園の大きな石を島に『見立て』たり、玉砂利を波に『見立て』たりする。(中略)茶室、なんてのは全てが『見立て』のカタマリだった。(中略)つまり都会の中の、自宅の離れの一室を中国の山奥に見立てて遊ぼう、という大人の『ごっこあそび』だ。だから茶室に入るための、あのにじり口、と呼ばれる狭くて低い入口は都会から異世界に入る壺の入口だったり洞窟だったりする。中に掛けてある掛け軸にその異世界の風景が描かれ、置かれている道具は全て『由来』という物語を持つ」

 岡田斗司夫著「オタク学入門」(太田出版)の第IV章、「見立て」と特撮
(続く) 

http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20071224
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20070602
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20060305

ロボットとは何か――人の心を映す鏡  (講談社現代新書)

ロボットとは何か――人の心を映す鏡 (講談社現代新書)

*1:シベリア少女鉄道ヨーロッパ企画http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/00000113

*2:シベリア少女鉄道の方は事実上それ以降、活動休止状態になった

*3:そして、そのほとんどは叙述トリック的なものであるところにも新本格以降の日本ミステリとの近親性がある