松田正隆×松本雄吉「イキシマ」@精華小劇場

出演:芦谷康介、大熊隆太郎、岡嶋秀昭、金乃梨子、沙里、高澤理恵、速水佳苗、宮川国剛、宮部純子、山口惠子、山下残
テキスト:松田正隆(マレビトの会) 演出:松本雄吉(維新派) 舞台監督:大田和司 照明:吉本有輝子 映像:山田晋平 音楽:佐藤武紀 音響:大西博樹 舞台美術:武岡俊成 演出助手:伊藤拓、若林康人 宣伝美術: 松本久木 宣伝写真:ホイキシュウ 広報:間屋口克 票券:小林みほ 制作:安部祥子、幸野智彦、小山佳織、山崎佳奈子 プロデューサー:丸井重樹

 今年上半期の関西の舞台でもっとも注目されたのが精華小劇場プロデュース公演として企画された「イキシマ breath island」(松田正隆作・松本雄吉演出、2月18日〜28日)だった。「イキシマ breath island」は松田戯曲を維新派の松本が演出したものだが、具象化するのが簡単ではない松田戯曲の提出してきたイメージを戯曲に忠実に細かく拾いあげながら、松本ならではのビジュアルイメージに定着させた。
 それは確かに松田の世界ではあるのだけれど、明らかに松田が演出も手掛けるマレビトの会とは異なる印象を受ける。そして、それは演出家、松本の世界でもあるのだけれど、音楽家、内橋和久との共同作業であり、音楽劇である維新派とも異なる方向性の舞台でもあり、その組み合わせの新鮮さが魅力的だった。
 松田は平田オリザと並び90年代の現代口語演劇を代表する劇作家であった。岸田戯曲賞を受賞した「海と日傘」をはじめ故郷長崎を舞台にした長崎3部作に代表される群像会話劇でその地位を不動にしたが、その最良の舞台成果が「月の岬」「夏の砂の上」をはじめとした松田脚本、平田演出による連作だったことは多くの人が認めるところであろう。
 ところが、平田とのこの黄金コンビは2000年代に入り、松田がその作風を端正な会話劇から、さまざまな文体の言語テキストのコラージュを思わせるような実験的な作風に転換していくにしたがい崩壊していく。松田の作風は「雲母坂」において、端正な会話劇に見えたものが後半一変し、閉ざされた島を舞台にそこで米軍の支配に石つぶてで対抗する人々が描かれるなど非日常性が溢れ出すことで変化の片鱗を見せるが、会話劇の呈をなしていない演出困難な原テキストを平田が会話劇的に書き替えた「天の煙」において2人の立場は決定的に離れていくことになった。
 この後、松田は自らの劇団「マレビトの会」を発足。現代口語演劇時代とはまったく異なる作風の作品を手掛けることになるのだが、自ら演出も手がけることになったのは変化した後の松田戯曲を演出できるような演出家を見つけるのがそれほど簡単なことではないという事実もあった。
 というのは先にも書いたように最近の松田戯曲は通常のように物語や人物を描くというのではなくて、例えばこの「イキシマ」の場合でいえば登場人物は船大工と「息」の妻、2人の海女、2人の天使、島へと戻った映画監督、吃音の男、島にいるという神父たち、密入国してきた兄妹と多数でてくるが度具体的にどんな人物かは判然としない。そこでは多種多様な映画が引用されることなどで絵画的に場面のイメージの連鎖がつづられていく。こうしたイメージの交錯がマレビトの会以降の松田作品の特徴だが、松田演出ではそれは具体的に示されることはなく、観客ひとりひとりの脳内に喚起されるものになっている。これに対し。松本演出は優れた美術家でもある松本の手によって、ある時は映像として、あるときは俳優たちの集団演技によって提出されたイメージが実際に舞台上で具現化されていく。美術展示空間のホワイトキューブを思わせるフラットで白い壁の空間のなかに俳優たちが、あるいは時には映像も加えて、場面ごとのイメージを絵画的に展開していく。松本の演出には維新派におけるようなスペクタクルはあまりないが、フェルメールなど静的イメージの絵画を連想させた。
 加えて、いくつかのダンスシーンがあるのだが、この部分の振付は出演者でもある山下残が担当しており、その意味では確かにこの舞台自体は「ダンスのような演劇」とまではいえないが、このダンスの醸し出すイメージが作品の要となっていることは確かといえた。