ピチェ・クランチェン+山下残「About Khon」@京都造形芸術大学studio21

スタッフ
振付: ピチェ・クランチェン/コンセプト:ジェローム・ベル
出演
ピチェ・クランチェン、ノッパドン・ブンデット、ウォンコット・ウッティデージ、マニット・ティーッパティマポーン、ジラーユッド・ピアドプット、パーラミット・マニラット、
(対話者)山下残
制作:ソジラット・シンゴンガー/助成:エスプラネード(シンガポール)、ゲーテ・インスティトゥート(タイ)/主催:KYOTO EXPERIMENT

 タイの古典舞踊Khonの名手ピチェ・クランチェンと日本のコンテンポラリーダンサー・振付家、山下残との対話編。あまり、作品についての前知識なしに見ていたのと、作品終演後即座に会場を離れ、仕事に向かわなくてはならずアフタートークも聞けなかったので、コンセプト「ジェローム・ベル」というのはピチェ・クランチェンとジェローム・ベルが共同制作した「ピチェ・クランチェンと私」という作品があるのは知っていたけれど、2人にはその作品のほかにもう1本新作である「About Khon」という作品があり、今回はその作品を山下残をキャスティングして上演したのだと考えていた。それは完全に誤解でこの「About Khon」は「ピチェ・クランチェンと私」の改作版であるというのは舞台が終了してからだいぶ時間が立って初めて知った。
 そうだとすると例え全体的に「対話編」の形式でピチェ・クランチェンと彼が携わる古典舞踊Khonについての話をするという構造自体を共有しているとしても、これがもはや全然違うものだと思う。「ピチェ・クランチェンと私」は未見で両者の比較が自分の目で見て判断できないのは残念だけれどヨーロッパにおける現代美術のコンセプトアート的な手法で「アジアの古典舞踊」という対象に切り込んでいくジェローム・ベルのよって立つ地盤というのが確固たるもので、それゆえ対立軸がはっきりとしているのに対して、山下残の立ち位置はどうにもはっきりしない。ひとつだけ分かるのはこの場合は相手がピチェ・クランチェンなわけだが、逆にこれが山下の相手がジェローム・ベルであったとしても相手の立ち位置はどちらも何万光年も離れていると思われるほど共通の基盤が見出しにくいところだ。これは今回だけではなくコンテンポラリーダンス系の国際コンフェレンスなどに出席するといつも感じることだが、それを日本の「ガラパゴス的状況」と否定的にとらえるか、逆に桜井圭介氏の「コドモ身体」論などもその一端でがあるが、「ジャパン・クール」的な有価値な独創性と考えるか、受け取り方はいろいろあるにしてもどちらにせよ例えばこのタイの場合のように同じアジアだからなどと安易に共通点を求めることはほとんど無意味なことになっている。
 それを前提としてこの山下残版のピチェ・クランチェン「About Khon」はなんとか設定を探そうとして質問する山下残とピチェ・クランチェンの会話のまったくといっていいほど噛み合っていない様相が逆に日本の現状、タイの現状を意図せずして照らし出してしまう。古典舞踊の普及者としてピチェが強調するのは歴史的な存在としての古典舞踊Khonとそれが置かれている現状に対しての危機感も含まれた問題意識なのだが、それを理解しようと考えた時に山下残が持ち出すのが決して能、歌舞伎などの日本の古典芸能ではなくて、「ガンダム」であったり、「まことちゃん」だったりするのが、「ちょっとそれは」と思ったりもする一方、日本のコンテンポラリーダンスの現在を象徴するようなところもあって刺激的だった。
 興味深いのは日本における世界における孤立性はなにもコンテンポラリーダンスのみについて言えることではなく、漫画、アニメ、現代美術、映画、小説といった他のジャンルについても共通して言える部分があって、それを例えばことさらコンテンポラリーダンスだけを取り上げて、古典芸能と完全に切断されていて、技術が継承されていくというような歴史的なコンテクストがいっさい共有されていないことなどを批判してみても意味があまりない。ただ、その際に私たちが無意識のうちに共有している前提はなにかということは対象となる事物を考えていくうえで、貴重な思考であり、そこが「About Khon」の面白さだった。