木ノ下歌舞伎「夏祭浪花鑑」@京都アトリエ劇研

 これまでの歌舞伎の現代化において優れた舞台成果を残してきたやり方としては歌舞伎をもともとは義太夫から発したような「語りの演劇」の一典型と考え、現代的な様式における新しい「語りの演劇」を構築した試みがある。原テキストとなる古典のリソースとして、シェイクスピア劇やギリシア悲劇と同様に歌舞伎のテクストを用いるというもので、宮城聰のク・ナウカや安田雅弘の山の手事情社などが「語りの演劇」による歌舞伎テクストの上演を行ってきた。
 劇団☆新感線のいのうえ歌舞伎のように歌舞伎が本来持っていた「かぶく」という美学を精神的に受け継ぐことを意図しながらも様式やテクストはオリジナルなものをフリースタイルで展開していくようなありかたもあり、畑沢聖悟が「曽根崎心中」を下敷きとして「背中まで45分」を創作したように原作の構造の一部を借りながらそれを現代劇のなかに換骨奪胎するようなやり方もある。ネオ歌舞伎を標榜する花組芝居のように歌舞伎の様式や演技法を一部借りながら、現在の歌舞伎上演とは違う形での新たな歌舞伎の形式を模索していくような試みもあった。
 木ノ下歌舞伎が興味深いのは最初のいくつかの作品では「語りの演劇」を考えているのかとも考えているが役者の技量もあってそれがうまくいかないのか、とも考えた時期もあったが、どうやらそうではないことだ。ク・ナウカ山の手事情社では新しい様式を探究しているが、この「夏祭浪花鑑」を見る限り、おそらく木ノ下歌舞伎特有の様式というようなものは追求されていない。様式は作品ごとに異なるし、作品ごとに演出家さえ変わったりします。そして、ことなる演出家に演出された「勧進帳」と「夏祭浪花鑑」の間にはほとんど様式における共通点はない。
 これは一見、現代演劇を上演する集団としては不可解にも見えますが、その根底に「歌舞伎というものは本来そうしたものだ」という考え方があるような気がする。次回の新作として「義経千本桜」の通し上演をやるという風に予告している。「義経千本桜」は全五段の時代浄瑠璃ではありますが、歌舞伎の通し上演というのはそのなかに「世話」「時代」「舞踊」などさまざまな異なる要素を含んでいて、しかも人形浄瑠璃も竹田出雲、並木川柳、好松洛合の合作とされていて、それを3人の演出家がいろんなスタイルにより演出し上演するという試みはきわめて歌舞伎的といえそうだと思うのだ。