東京デスロック「シンポジウム SYMPOSIUM」@横浜STスポット

横浜会場 2013年7月13日(土)〜7月21日(日) 
富士見会場 2013年7月27日(土)〜7月28日(日) 

現代人の抱える問題をテーマに発表した『モラトリアム』*1リハビリテーション*2『カウンセリング』*3に続く東京デスロックの新作『シンポジウム』は、語の由来にもなったプラトン著による『饗宴』をモチーフに、青森、横浜、京都、北九州、ソウル、各地域で活動するアーティストと共に行う愛のパフォーマンス。コミュニティの姿、サイズ、そしてそこにある愛を見つめる、言葉による、言葉によらない、現代の饗宴。

【シンポジウム symposium】
多数の者が一つの問題をめぐって議論を交わす集団討議法の一種。夕食後などに行われる酒宴を意味するギリシア語[ symposion ] に由来する。プラトンが酒席で行われた〈愛〉をめぐる討論を内容とする著書『饗宴』の題名にシュンポシオンの語を用いてから,親しい雰囲気のなかで行われる論議をこう呼ぶようになった。 (世界大百科事典より)
一般的には、あるテーマを決めて広く聴衆を集め、公開討論などの形式で開催されることが多い。この他、小グループの活動報告や、余興が行われることもある。事前に打合せを行っておかないと、かみ合わない話のまま進行してしまう事例もまま見られる。 (Wikpedia 現代のシンポジウムより)

MEMBER
東京デスロック《夏目慎也 佐山和泉 佐藤 誠 間野律子 多田淳之介》
マ・ドゥヨン [俳優/第12言語演劇スタジオ] Fromソウル
柿粼彩香   [俳優/渡辺源四郎商店] From青森
きたまり   [ダンサー・振付家/KIKIKIKIKIKI主宰] From京都 ※横浜会場のみ
沖田みやこ  [俳優/のこされ劇場≡] From北九州 ※富士見会場のみ
大谷能生   [音楽家・批評家] From横浜
藤原ちから  [編集者・フリーランサー] From横浜

 関西の在住ではあったが「東京ノート」はチケット完売で入れず見逃したものの多田淳之介総合演出の木ノ下歌舞伎「義経千本桜」、京都の「We Dance KYOTO」で上演された「RE/PLAY」*4、渡辺源四郎商店「修学旅行」と外部演出の作品はけっこう見ていた。そのこともあり多田淳之介と東京デスロックの公演はけっこうカバーしてきているつもりでいたのだが、東京デスロックサイトの現代人の抱える問題をテーマに発表した『モラトリアム』『リハビリテーション』『カウンセリング』3部作に続く東京デスロックの新作『シンポジウム』という表現を見て愕然。最近の作品をまったく見ることができていない。もっともネット上でのレビューなどで内容を調べると実は「カウンセリング」はSPAC芸術監督の宮城聰と多田との芸術監督対談という形式で東京芸術劇場で上演されたもので、その時には前段の2作品を見ていないので、作品の意図というか枠組みが十分にのみこめなかったのだが、東京芸術劇場リニューアルオープン特別企画「東京福袋」2日目に上演されたもので、それは見ていたことが判明した。
 東京デスロックの多田の作劇のひとつの特徴は原戯曲あるいは原作の構造分析からはじまり、作品ごとにそれに合致した方法論を立ち上げ作品を構成していくことだ。ここしばらくはそれは主として原テキストと演劇作品の構造的類似性(「3人いる!」「2001年―2010年宇宙の旅」「WALTZ MACBETH」「ROMEO & JULIET〜JAPAN ver.」「その人を知らず」)などを担って制作されてきたが、どうやら観客を俳優と一緒に8時間劇場のスペースに閉じこめるという「モラトリウム」以降は劇場での演劇上演という枠組みそのものの自明性に挑戦するような作風にシフトしはじめているようだ。
 「シンポジウム」もそうした試みの一環であろう。劇場には「モラトリアム」の時と同様ひとりづつ入場するように仕掛けられている。入ってみると劇場の空間には舞台美術のようなものはいっさいなく、観客はそのなかで自由な位置に座るできるように設定されている。「モラトリアム」ではどうやら観客に交じって最初から俳優が劇場のなかにいたようなのだが、今回はそういうことはなくて、その代わりに壁際にいくつのか空の椅子が配置されており、開演時間がくるとそこに出演パフォーマーが座って表題のシンポジウムの通りにいくつかの議題についての議論のようなものをスタートさせる。
 つまり、そこで行われていることは「あるテーマを決めて広く聴衆を集め、公開討論などの形式で開催される」というシンポジウムのようにも見える議論なのだが、私たち観客はこういう形で舞台空間に召喚されることでそれを「演劇として観劇する」という二重構造を持つ。「シンポジウム」はそういう舞台(演劇)だということだ。しかし、演劇とはいえ、役者たちのセリフは毎回決まっているわけではない。編集者の藤原ちからが議論の司会役としてある程度そこで行われている議論をさばくなどそれぞれの担う役割はある程度決められているものの、実際の議論はほぼフリートークでその日その日の流れに任せられた即興になる。(続く)