うさぎストライプ「みんなしねばいいのに」(2回目)@アトリエ春風舎


作・演出:大池容子(写真上、撮影:西泰宏)
出演 小瀧万梨子(うさぎストライプ・青年団) 亀山浩史(うさぎストライプ) 緑川史絵(青年団) 長野海(青年団) 立蔵葉子(青年団) 芝 博文
スタッフ

照明:黒太剛亮(黒猿)
音響:角田里枝(Paddy Field)
舞台美術:濱崎賢二(青年団
舞台監督:宮田公一(箱馬研究所)
宣伝美術・ブランディング:西 泰宏(うさぎストライプ)
制作・ドラマターグ:金澤 昭(うさぎストライプ・青年団
総合プロデューサー:平田オリザ
技術協力:鈴木健介(アゴラ企画)
制作協力:木元太郎(アゴラ企画)

 平田オリザらの「関係性の演劇」では描くことのできない領域のひとつに「死」がある。「死」は関係の不在であるからだ。それゆえ、例えば「S高原から」で人間関係の描写のなかでは描き得ない「死」をいわば陰画としてあえて「皆がそこにあるものと知りながら目を背けているもの」として間接的に暗示することを試みている。
 ただ、現代口語演劇の様式を平田と共有する作家でも松田正隆やはせひろいちら「死」あるいはその周縁の「非日常」に意識的に迫ろうとした作家はいた。松田正隆「月の岬」、はせひろいち「非常怪談」などはその代表作品だ。青年団の直接的な関係者では前田司郎が岸田戯曲賞受賞作「生きてるものはいないのか」で本来は不可能であるはずの「舞台上で死ぬという行為」にこだわった作品を創作。それ以外にも「地獄」「異界」への旅など「死」と隣接した非日常の世界を好んで取り上げている。
 うさぎストライプの大池容子は死や現実からかけ離れた異界など「非日常」を嗜好する作家ではないと認識していたので、「みんなしねばいい」は意外であった。私がこの劇団を観劇した以前の過去作品には「おかえりなさい II」のようにおそらく死を主題のひとつとした作品もある*1

 大池容子という作家の最大の特徴は女性の作家に時折あるように自己の情念の表出のようなものをそのまま言語化し舞台に仕立て上げるということがほぼなく、作品世界は巧緻に構築されているということだ。この「みんなしねばいい」も様々な要素のアマルガムのように見えるが、それはごった煮のようになんでもぶち込まれているというのではなくて、そこにはよく見ていくと構成美と呼んだらいささかオーバーだが、周到に編集された痕跡が散見される。 
「みんなしねばいい」には3つのそれぞれ範疇の異なる「怪異」が出現する。立蔵葉子(青年団)が演じる「響子の幽霊」。亀山浩史が演じているぬいぐるみの羊の妖怪「角くん」。芝博文のコンビニ店員「殺人鬼」である。

 範疇が違うと書いたが幽霊と妖怪はどう違うのだろうか。幽霊とは、「この世に未練や恨みがあって成仏できない死者が、因縁のある人の前や場所で姿を現す」とされるものである。「響子の幽霊」はもともとこのマンションの場所にあったというゴミ屋敷の主人であった老婆「響子」の霊であり、娘を肺がんで亡くした後、この場所に思いを残して孤独死した老人の霊だからまさしく典型的な幽霊といえる。しかも妖怪と幽霊の違いのひとつとして妖怪が誰にでも見えるのに対して幽霊は特定の人にしか見えないというのもあってその意味でもこれは幽霊だ。
 一方でウィキペディアの記述によれば妖怪は「日本で伝承される民間信仰において、人間の理解を超える奇怪で異常な現象や、あるいはそれらを起こす、不可思議な力を持つ非日常的・非科学的な存在のこと。妖(あやかし)または物の怪(もののけ)、魔物(まもの)とも呼ばれる。妖怪は日本古来のアニミズム八百万の神の思想に深く根ざしており、その思想が森羅万象に神の存在を見出す一方で、否定的に把握された存在や現象は妖怪になりうるという表裏一体の関係がなされてきた」とある。
 幽霊と妖怪の違いはいろんな説があるようだが民俗学創始者でもある柳田国男によれば以下のような定義がなされている。

お化け(妖怪)と幽霊の区別(「妖怪談義」より)
・第一に、おばけは出現する場所が決まっているのに対し、幽霊はどこへでも現れる。
・第二に、おばけは相手を選ばず、誰にでも現れるのに対し、幽霊の現れる相手は決まっていた。
・第三に、おばけの出現する時刻は宵と暁の薄明かりの時であるのに対し、幽霊は丑満つどきといわれる夜中に出現した。
    ・おばけとは、前代信仰の零落した末期現象の姿であり、かつては神々のすがたであった。

 「妖怪は出現する場所が決まっているのに対し、幽霊はどこへでも現れる」という定義は今回の物語には当てはまらないが「妖怪は相手を選ばず、誰にでも現れるのに対し、幽霊の現れる相手は決まっている」というのは当てはまるようで、「古来のアニミズム八百万の神の思想に深く根ざす」という意味では作品中には明確な記述はないけれど、羊のぬいぐるみ*2の化身である「角(つの)くん」は妖怪と考えるのが適当ではないか。 「怪異」とは書いたが作品中で次々と人を殺していくコンビニ店員(坂本)は人間ではあるが、殺人にとどまらず実はあきに対してストーカー行為を行っていて、最後にはあきを襲い部屋で縛り上げ殺そうとする。
 いずれも作品の背景となったハロウィンから発想されたようにも思われるが、ここで興味深いのはホラーのキャラのなかでも「幽霊」「妖怪」「殺人鬼」というカテゴリー(範疇)の異なる3種類の怪異を主人公あき(小瀧万梨子)を中心とする3人の女性(ゆきえ=緑川史絵、なつみ=長野海)と3対3で対比させているところだ。
 幽霊の響子はあき以外のマンション住民には見えない。ぬいぐるみの羊の人形は元々はゆきえの部屋に出現する怪異で最初は人形の姿で部屋の外に何度投げ出しても、また戻ってくる。ところがこれが途中で角の生えた人間の姿に変化して登場する。なつみは坂本とつきあっているが、実は坂本は夜な夜な斧を持って外を徘徊している殺人鬼で、付き合っていたなつみの部屋の窓からあきの部屋を覗き、ストーカー行為もしている。
 
 
 
 

*1:ただ時期的に考えてこの作品は東日本大震災と無関係ではないと思われるため、例外的な事例といえるのかもしれない。

*2:熊のぬいぐるみと書いていたが、3回目の観劇後にやっと羊だと気が付いた。確かになぜ角が生えてるのだろうかと疑問には思っていたのだが、先入観というのは恐ろしいものだ