お布団 番外演劇公演「対話篇」@新宿眼科画廊 スペース地下

原作:プラトン「クリトン」
脚本:綾門優季
構成・演出:得地弘基

出演:入江悠、小澤麻友、原田つむぎ

東京デスロック「シンポジウム SYMPOSIUM」@横浜STスポット http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20130718
プラトン「クリトン」翻訳系e-text http://e-freetext.net/critoj.html

ソクラテスの弁明・クリトン (岩波文庫)

ソクラテスの弁明・クリトン (岩波文庫)


プラトン「クリトン」が原作だ、というと芝居を見終わった感想からすれば作品自体のテイストはいかにも綾門優季らしいとは思うが、これのどこが「クリトン」なんだと思ったのも確かである。もっともそういうことを度外視して芝居は面白かった。
 原作である「クリトン」は詳しいことが知りたい人は上記のサイトを参照してほしいが、単純化して言えば獄中で死刑を待つソクラテスの元を弟子筋にあたるクリトンが訪ねて、脱獄して国外に脱出することを説得しようとするが、説得に失敗して逆にそういうことをすることは無意味だということを説得されてしまうという話だ。綾門が脚色したお布団版の「クリトン」である「対話篇」にはそもそもソクラテスもクリトンもまったく出てこない。
 この2人は換骨奪胎して2人の女性に置き換えられ、しかも冒頭に「2人の登場人物ABのうちBはAに信奉しており、Bの言ういかなることも結局受け入れてしまう。だから2人の対話には意味がない」と登場人物を演じる俳優の独白により提示される。もうひとり、Cという男が登場してCはAのことを憎んでいるためにAの言うことに説得されないし、絶対に受け入れないと説明され、だからこの対話には意味がないと言われたうえで、会話(対話)がはじまる。
興味深いのはこの台本にもそれが示されているが、どうやら綾門優季はどうせ人間と人間は対話を通じて意思の疎通をすることは出来ないので対話の内容自体には意味がないと考えているらしいことだ。そしてもっと興味深いのは一般に人が人を説得するというソクラテスの弁論術の事例としてプラトンにより提示された「対話篇」をコミュニケーションの実例ということではなくて、師弟関係を強化するために弟子B(この場合はクリトン)が師であるAの論を何であっても受け入れてしまう実例として、受け取ったのではないかと思われるからだ。
 綾門の所属する青年団を率いる平田オリザはその現代口語演劇理論において「対話」を重要視している。著書「演劇入門」などにおいて、対話は自分とは異なる価値観を持つ他者と、会話は内輪で行うおしゃべりを指すと主張しており、演劇は他者との対話を描くべきだと主張している*1
 一方、綾門優季は今回の舞台「対話篇」戯曲ノート*2のなかで「対話をすることが良いことだと思っているけれども、お互いに出来るだけわかりあった方がいい、と実は僕は考えていない」として対話をわかり合うための手段とは考えていないと語っている。
 

*1:私は逆で平田の慧眼は1対1で議論が対立する西洋演劇的な「対話」の層だけではなく、群像会話劇という「会話」の層を入れ込んで、発話の状況を複雑化したことにあると考えている

*2:対話篇/戯曲ノート#2 https://note.mu/ayatoyuuki/n/n0a23466b2fdd