青年団プロデュース「月の岬」

青年団プロデュース「月の岬」について感想を書こうと思う。もっとも、今回の舞台は初演の後深読みレビューで書いたことがはたして的をえていたのかというのを考えながら見ていたのだけど、これはやっぱりそうなんじゃないかという確信を強く持った。ただ、芝居を見てちょっとびっくりさせられたのは

この芝居では私が深読みレビューでこの物語の核と考えた深層(佐和子と亡くなった父親の関係)どころか、そこで表層的フェーズと考えていた姉弟の疑似近親相姦的な関係性さえもこの芝居では明示されてはいないということに気が付いたことだ。


 もちろん、このフェーズでの隠された関係性が明示ではなく、暗示的な描写で提示されるということはやはり以前いくつかのレビューをこのページで書いた岩松了の作品(「スターマン」「虹を渡る女」など)にも見られることで、なにも松田の専売特許というわけでもない。「月の岬」の特徴はその隠された関係がさらに物語に基調低音のように流れている神話的な構造と呼応するようなメタ構造を持っていることで、

こうした趣向により「現代における神話」を構築しようとしたところにあるのではないかと思う。


 長崎から少し離れたところにある島を舞台に設定したところにもそういうことがうかがえるし、直子に佐和子が憑依したかに見えるラスト近くのシーンなどにそういう意図を色濃く感じさせられるところがある。平田オリザによる演出はこの芝居の日常性を強調した散文的なものとなっており、神話的な側面を隠ぺいするような形で上演されるので、それはこの芝居ではそれほど目立ったものとしては提示されないのだが、例えば宮城聰など「神話的なるもの」により親和性の高い演出家が演出したらどうなるだろうか。芝居を見ながらそんなことも考えてしまった。


 青年座によって上演された松田正隆の新作「天草記」はこれまでの松田作品とはかなり毛色が違うために「静かな演劇」を創作してきた松田が新境地に挑戦したなどと表層的には捉えられがちだが、「現代における神話」の構築という切り口で考えるのならば「月の岬」と通底している。もっとも、「月の岬」では隠ぺいされていた神話性はここではだれの目にも露わな形で表れている。実はこの2つの物語にはモチーフやそれを扱う筆致があまりにも違うので見過ごされがちだが、閉塞された場所にいる家族共同体が外部からの侵入者により崩壊し、その後、そこには新たな共同体が誕生するという同じ構造を持っている。ところがこの2つの作品が大きく違うのは「共同体」を基準に考えた時に「月の岬」が内部(信夫)に近い視点で描かれ、

直子の視点では描かれていないのに対して、「天草記」の方は現代日本からのエグザイル(逃亡者)として、この土地に現れる3人の侵入者の視点によって描かれていることである。もちろん、基本的には芝居は小説とは違い厳密にいえば視点というものがあるわけではないのだが、全体の構造として、芝居に入りこんでいく際にそちらの視点に近い視線で物ごとを眺めることを誘導されるような仕掛けがあるということをいいたいのである。


 閉ざされた家族共同体の共通点は「月の岬」ではインセストタブー、「天草記」ではカニバリズムあるいは殺人と通常の社会における禁忌にかかわることが行なわれている(あるいは少なくとも行なわれているかもしれないと暗示される)ことにある。すなわち、通常の社会規範から排除されるようなことがそこでは許容されるということにあって、それは当然、外部の目から見たらある種のグロテスクとなる。「月の岬」ではそういうことは感じられないのだが、それはあくまで内部の視点で見ているからである。


 もっとも「天草記」を見て感じるのは同種の構造を持っていても切り口の違いにより、語り口つまり芝居のスタイルの違いは現れてくるわけだが、表層の部分で日常会話劇というスタイルを持つ「月の岬」が表現として陶冶され、松田正隆作品としての完成度の高さを感じるのに対して、「天草記」では「月の岬」「海と日傘」などで一応の完成の域に達したと思われる会話劇ほどの方法論に対する確信が感じられず、手探り状態の苦吟を感じてしまうことである。


 劇作家に限らず作家(表現者)には大きく分けて2種類のタイプがあるのではないかと以前から考えている。ひとつは若くしてひとつのスタイルを確立して同工異曲などと陰口をたたかれながらも、自己の表現を深化、完成させていくタイプ(小津安次郎などはこのタイプの典型だと考える)、もうひとつは自己の表現のたえざる否定により常に新たな表現を追い求めていくタイプである(典型的にこのタイプと思われる芸術家はパブロ・ピカソである)。


 私は松田正隆という劇作家は典型的に前者のタイプだと考えていたので、最近の松田のもがきぶりにはちょっと当惑させられているところがある。おそらく、枠を破りたいというやむにやまれぬ内的衝動のようなものがあるのだろうというのは想像できるのだが、自己の心情を露わに表出するような芝居においては台詞における微妙な手触りとか、一見いわゆる劇的なシチュエーションからはほど遠い日常的な描写の底から立ち上がってくる心理のドラマ性といった松田戯曲の持つ最良の資質(と少なくとも私が考えているもの)が生きてこない感じがしてしまうからだ。もちろん、「天草記」のようなこれまでの枠組みをはみだす作品は新たな演劇の可能性を内包していることも確かで、先の書いたように「現代の神話の構築」という側面から言えばこの作品にも松田の表現の特徴はしっかりと刻印されてはいる。


 特に若くして「海と日傘」「月の岬」という小津の例えるならば「麦秋」「東京物語」にも匹敵すると思われる現代演劇の古典を書いてしまった松田にとってはそれを乗り越えてより高みに達するためには一見、回り道とも思われるような苦難の道をあえて 歩まねばならないのかのかもしれない。だから、松田の今後がどうなるのか期待をもって見守っていきたい。 

「ダンス×アート 源流を探る ローザス=ケースマイケル」セミネールin東心斎橋WEB講座

【日時】2011年11月20日(日)p.m.7:30〜 
【場所】〔FINNEGANS WAKE〕1+1 にて
【料金】¥1500[1ドリンク付]
 セミネール新シリーズ「ダンス×アート 源流を探る」では80年代に日本に衝撃を与え、日本にコンテンポラリーダンスというジャンルが誕生するきっかけを作った海外アーティストを紹介していきたいと考えています。第1弾として5月にはW・フォーサイス*1を取り上げました。その後、別企画が続いたことなどでずいぶん時間が経過したのですが、今回は「源流を探る」の第2弾としてベルギーのダンスカンパニー「ローザス*2とアンナ・テレサ・ド・ケースマイケルを取り上げたいと思います。   
コーディネーター・中西理(演劇舞踊評論)
アンナ・テレサ・ド・ケースマイケルインタビュー

ローザスローザス・ダンス・ローザス

 
 東心斎橋のBAR&ギャラリーを会場に作品・作家への独断も交えたレクチャー(解説)とミニシアター級の大画面のDVD映像で演劇とダンスを楽しんでもらおうというレクチャー&映像上映会セミネール。今年はすでに「ポストゼロ年代演劇に向けて」と題して、最新の若手劇団やこうした動きの先駆となった劇団の紹介を行っていますが、これとは別の新シリーズ「ダンス×アート」をスタートすることにしました。
 セミネールでは当初「現代日本演劇・ダンスの系譜」と題して演劇とコンテンポラリーダンスの両方を交互に隔月で紹介したのですがダンスについては集客が難しいという問題もあり、しばらく開催を中断していました。今年はこれまでの現代演劇を紹介するシリーズのほかにひさしぶりにコンテンポラリーダンスを取り上げる新シリーズを復活させることにしました。
 コンテンポラリーダンスというジャンルが一般化してから30年近い歳月がたちましたが、舞台芸術の世界に新しい風を吹かせたコンテンポラリーダンスも最近は当初の勢いを失いどこか閉塞感がただようような状況があることも確かなのです。そこで一度原点に返って、新鮮な驚きで私たちを驚かせたコンテンポラリーダンスとはいったい何なのかというのをもう一度原点に返ってじっくりと考えてみたいと思います。
 コンテンポラリーダンスに大きな影響を与えた振付家にはこのレクチャーで以前に取り上げたウィリアム・フォーサイス、あるいは次に取り上げることを予定しているピナ・バウシュがいますが、ローザスも与えた影響の大きさにおいてはひけをとらないものがあります。しかも、ピナ・バウシュが亡くなり物故者となり、フォーサイスもフランクフルトバレエ団なき後には活動規模の縮小を余儀なくされていることを考えればローザスとケースマイケルの精力的な活動ぶりは特筆すべきものがあります。
 いささか私事にはなりますが、今年の夏、私は夏休みを取りアビニョン演劇祭にひさびさに出かけたのですが、その最大の目的は法王庁中庭においてローザスが上演した新作「Cesena」を観劇することでした。「Cesena」という作品はベルギーの古楽アンサンブルgraindelavoixとの共同制作の形をとって実現した作品で法王庁の中庭では午前4時半というまだ夜明け前の時間に開演して、パフォーマンスの最中に徐々に夜が明けて暗闇のなかでほとんど音しか聞こえなかったパフォーマンスが次第に見えてくるという「その場所ならでは」という演出によって初演されました。

「Cesena」はAnne Teresa De Keersmaeker率いるローザスと Bjorn Schmelzer率いる古楽アンサンブル、グランデラヴォワによる共同制作作品*1。開演時間が早朝(というかまだ夜が明けていない)4時というのにもびっくりさせられたが、公演会場は法王庁宮殿の中庭。公演がはじまった時間帯にはまだあたりは真っ黒でしかも上演がはじまると明かりはすべて消されてしまったので周囲は完全に暗闇の世界。そのなかから古い教会音楽を思わせるような、グランデラヴォワの合唱(コーラス)が聞こえてくると雰囲気は荘厳、しかもここは法王庁の中庭だということに思いをはせると在りし日の法王庁の朝もこんな風にはじまったのかもしれないと思いなにやら敬虔な気分になってきた。歌の意味の正確なところは分からないし、キリスト教徒でないわが身には隔靴掻痒の感は否めないのではあるが、この時間にこの場所にいるという経験も滅多に体験できるものではないため、これだけでもアビニョンに来たかいがあったと嬉しくなった。

 最初のうちはなにやら暗闇でがさがさと踊る音が聞こえたりするだけで、ダンサーらの姿はまったく見えないのに近い状態なため、「まさかこのまま終わってしまうのでは」との疑心暗鬼にとらわれたりした瞬間もあったのだが、パフォーマンスがはじまって30分もするとようやく空がうすぼんやりと明るみを帯びてきて、ダンサーの影のようなものがまず見えてきて、次第にそれがはっきりしてくる。

この公演で面白かったのはグランデラヴォワとローザスがそれぞれ歌とダンスを担当するというような作りかたではなくて、両者がいわば入り乱れて演技をしていたことで、ローザスが歌を実際にどのくらいコーラスに参加していたのかについては未知数だが、グランデラヴォワの歌い手たちも群舞などの場面では加わって、一緒に演技していたことだ。

「Cesena」2011年アビニョン演劇祭初演

Anne Teresa De Keersmaeker & Björn Schmelzer - Cesena

http://vimeo.com/29179836

「En Atendant」2010年アビニョン演劇祭初演

 それではローザスとはどんなカンパニーなのかについて簡単に紹介してみたいと思います。公式サイト(http://www.rosas.be/)に英文の紹介があるのでこれを転載しておきます。

Rosas
Rosas is the dance ensemble and production structure built around the choreographer and dancer Anne Teresa De Keersmaeker. She immediately attracted the attention of the international dance scene with her 1982 debut Fase, four movements to the music of Steve Reich. Over the last 27 years, she has, with her dance company, created an impressive series of choreographic works. Rosas’ dance is pure writing with movement in time and space. At its heart lies the relationship between movement and music. In some productions, the relationship between dance and text is also examined.

Rosas is one of the few companies with a permanent ensemble of dancers. Anne Teresa De Keersmaeker has opted decisively for an organisational model that transcends project-orientation, enabling continuing intensive work with each individual dancer. In the company’s major productions the whole ensemble appears on stage. In addition, there are smaller-scale productions in which De Keersmaeker herself dances. While creating new productions, Rosas also continues to perform the accumulated repertoire. In this way its own artistic past can be handed on to new generations of dancers and audiences.

Rosas has strong international connections and performs at the leading contemporary dance venues in Europe and far beyond. At the same time, its continued presence in Belgium remains a priority. Alongside many years of partnership with the major national performing arts centres, Rosas makes a point of cooperating with a circuit of smaller venues.

Rosas has set itself an explicit art education assignment and has over the years devoted a great deal of attention and energy to educational and participatory projects. This effort will be intensified even more in the years to come.

Rosas is an open house and shares its infrastructure not only with P.A.R.T.S., but also with the contemporary music ensemble Ictus, Workspace Brussels, the Summer Studios’ summer guests, and the numerous companies that rehearse in our studios. The available management, communication and administrative expertise is also put into guest projects developed in the slipstream of De Keersmaeker’s artistic course. This means the site in Van Volxemlaan in Vorst has grown into the perfect meeting place and breeding ground, where both young and established artistic talents encounter and enrich each other.

 ローザスは1982年に振付家・ダンサーであるアンナ・テレサ・ド・ケースマイケルらによって設立されたダンスカンパニーです。最初の作品はスティーブ・ライヒの音楽を使った「FASE」という作品で、この作品はその後、何度も再演、再制作されて今でもカンパニーのレパートリー作品の1つとして上演され続けています。

Rosas Fase [DVD] [Import]

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FASE

 ローザスの方法論は音楽の構造を分析し、それをそのまま振付の構築に移管してダンスを作るというところにあります。FASEではスティーブ・ライヒの音楽が使われていますが、ここで使われた「PIANO PHASE」という曲の構造がまずあってそれがそのまま2人のダンサーの動きとして可視化されているという関係性がこのダンスの骨子だということがあります。もう少し詳しく説明するとこの「PIANO PHASE」という曲はフェイジングという技法で作曲されているのですが、それは以下のようなものです。

 2人の奏者のための楽曲の場合、はじめは同じフレーズを2人でユニゾン演奏していますが、2人は微妙に異なるテンポで演奏を行うため少しずつに2人の拍、節ずれていき、最初の段階(音符が32分音符分遅れた状態)ではエコーのような効果を伴い音型を追いかけるような演奏に聞こえる時間帯が出現します。次に音の遅れが一定(16分音符分)に達すると再び2人の演奏のパルスが重なる時間帯になりユニゾン演奏が再び出現します。しかし、一方の奏者は音型の中で音符が一つ分遅れた位置からフレーズを反復演奏しているため、最初とは異なるダイアド(2つのピッチクラスから成るハーモニー)が出現し、最初のユニゾンとは異なる縦のハーモニーを形成します。そのハーモニーはリズムがずれるごとに徐々に変化していき、反復の音型が一周期分遅れるとまた最初の状態と同じの完全なユニゾンに戻り、一種の終止形のような展開をもたせることが可能です。フェイジングによるハーモニーは機能和声とは異なる音響の変化、音楽的な展開を生み出すため、一部の現代音楽の作曲家に好んで使われる手法です。

 「PIANO PHASE」もそういう構造を持っているわけですが、ケースマイケルによる振付はその構造を正確に映していて、最初はユニゾンで同期(シンクロ)している2人のダンサーは腕の振りと身体の回転を繰り返すというミニマルな動きのなかでその動きのきざむリズムが2人の演奏のそれぞれに対応しており、「はじめは同じフレーズを2人でユニゾン演奏していますが、2人は微妙に異なるテンポで演奏を行うため少しずつに2人の拍、節ずれていき、最初の段階(音符が32分音符分遅れた状態)ではエコーのような効果を伴い音型を追いかけるような演奏に聞こえる時間帯が出現します。次に音の遅れが一定(16分音符分)に達すると再び2人の演奏のパルスが重なる時間帯になりユニゾン演奏が再び出現します」というのと同じことが動きにおいて起こることになります。 
 ライヒの音楽自体についてはこちらのサイト(http://homepage.mac.com/sinx_music/maxmsp/pianophase.html)により詳細な紹介がありますのでぜひ参照してみていただきたいのですが、ものすごく単純化していうと最初同期していた音がピッチの違いにより徐々にずれていくという曲の構造に合わせて、2人のダンサーの動きも回転の速さが腕振り1回につき回転が32分の1ずつ(ではないかもしれないが)ずれるというような構造になっているのではないかと思う。

クラッピングミュージック
      
RAIN

DRUMMING

2001年6月6日 
ローザス「ドラミング」(7時半〜、びわ湖ホール)を観劇。

 ベルギーの振付家、アンヌ・テレサ・ド・ケースマイケルの率いるローザスの6年ぶりの来日公演である。「ドラミング」は98年にウィーンのダンスフェスで初演された後、ワールドツアーで100ステージ以上の上演をへての今回の来日公演である。

 ローザスといえば映像作品にもなっている「ローザス・ダンス・ローザス」に代表されるように女性ダンサーの群舞に特色があり、音楽の構造をそのままユニゾンや対位法を多用して、ダンスの構造に移していくという手法がひとつの持ち味であったが、この「ドラミング」はそういうものとは違う新たな傾向を反映した作品。音楽はスティーブ・ライヒが1971年に作曲した「ドラミング」を使用しており、それがそのまま表題にもなっていることからも依然重要な要素であることは間違いないのだが、この作品ではダンサーの動きが初期の作品のようにライヒの「ドラミング」と同期して呼応しているわけではない。もともと「ドラミング」とは別の演劇的なテキストを元に作られた作品に後から、音楽を合わせて作られたということで、ダンス自体はあくまで抽象的なものでそこから物語を読み取ることはできないが、ミニマルなドラムの音が繰り返させるごとに微妙に変化していくという音楽自体が持つ構造とは別の構造により、作品自体は構成されていくことがうかがえる。

 ダンサーは舞台がはじまる前から舞台上の上下に控えており、音楽がスタートするとそのうちひとりがいきなり凄まじいスピードで踊りはじめ、次にもうひとりとダンサーの数は増えていく。ただ、群舞においてもその構造には以前のように位置がほぼ静止したままでの全員が同期するユニゾンの動きなどはなく、はっきりした幾何学的な構造が見えるというよりもソロ、デュオ、グループの動きが流れながら推移していくような感じの脱中心的な構成である。

 流れの中にあっても全体の動きによどみがなく、時折見せる魅力的な動きそのものの力によって、見せていく技量には卓越したセンスを感じさせられる。脱中心といえば聞えはいいが、こうした抽象的な群舞の場合、ユニゾンとか対位法的な文脈をいれないと作品として散漫、バラバラになってしまいがちなのが、ローザスの場合、どこを切り取っても構図としての破たんがない完成度の高さにも感心した。

 しかし、一方では動きそのものは超絶技巧を誇示するようなものではないため、この作品は1時間の間、集中力を途切れさせないで見続けるにはかなりの努力が必要なことも確かなのである。そこにはフォーサイスやラララ・ヒューマンステップスなどで感じられる過剰性というものがいっさいない。それは意図的に剥ぎ取られている部分もあるのだろうが、全体としてあまりに淡泊に進行し過ぎるため、見ているうちに次第に欲求不満を感じてしまったのだ。

 「ローザス・ダンス・ローザス」などではビート感のある現代音楽に合わせて、キレのある動きの繰り返しをすることで、しだいに見る側もダンサーとある種の共鳴現象を起こし、それがクライマックスに向けて高揚感を引き起こしていくような作用があったのだが、「ドラミング」にはずらしによってそれを拒絶しているようなところがあったのが、どうしてもこの作品には客体的に反応してしまい作品との一体感を感じられなかったのも欲求不満感の原因かもしれない。

 もっとも、このダンスの構造は千変万化するフラクタル図形のようなところがあるので、見る側が構えを変えて能動的に視点を変えていくことで、そうした点はかなり、解消されるところもあるのだろうが私が見たのはびわ湖ホールの一番後方の座席でどうしても個々のダンサーの動きよりは全体を俯瞰してみてしまうような位置だったということもこうした印象に多少関係をしているかもしれない。逆にいえば見る位置によってかなり印象が変わりそうな作品でもあり、見られたのがびわ湖の1ステージだけだったのは残念であった。

 この作品には7人の女性ダンサーと5人の男性ダンサーが出演しており、女性ダンサーだけのカンパニーだった時とはまったく印象が違うのはそのせいもあるのだろうが、それでもやはりこのカンパニーのダンサーで印象に残るのが女性であるのはあながち私が男性であるからだけではないだろう。特に後半に金色の衣装を着て登場したラテン系と思われる黒髪のダンサーははっとするような美少女系でいかにもローザスならではのフェロモンを匂わせていたし、2人の日本人ダンサーのうち若いダンサーの方もちょっと中性的な魅力で目立っていた。

 世界的なカンパニーでニュースはいろいろ聞いていたので前に横浜で見てから6年も経っていたということに今回の来日であらためて気が付き驚いてしまった。今後はもう少し頻繁に来日してもらいたいものだが、ローザスにしてそうなのだからコンテンポラリーのカンパニーの来日公演というのは興行的に厳しいということなのだろうか。 

 
スティーブ・ライヒの夕べ



ON LINE at MOMAMOMA アメリカ近代美術館でのケースマイケルのパフォーマンス)


 以下の作品「RAIN」「DRUMMING」もスティーブ・ライフの音楽に基づいて制作した作品です。これらは「スティーブ・ライヒの夕べ」としてまとまった1つのプログラムとして上演されることもあるようです。
 音楽と動きの密接な関係性の構築にローザス=ケースマイケルの振付の最大の特徴はあり、当初の「FASE」のころの幾何学的かつミニマルな構造から「DRUMMING」など比較的最近の作品の複雑系的な構造まで進化あるいは変化はあるとはいえ、この音楽/動きの相似形の対応関係は音楽と無関係であるということをどちらかいえばよしとする日本のコンテンポラリーダンスの最近の傾向と著しい対照をなしているといえるのではないだろうか。それでは実際の舞台創作においてそれがどのようになされているのかについては2002年の「April Me」という作品のメイキングを収録した貴重なドキュメンタリーがあるので一部抜粋したものではあるけれど、見てみてほしい。
ドキュメンタリー「Dance Notes THE CREATIVE PROCESS BETWEEN MUSIC AND CHOREOGRAPHIE」http://jp.medici.tv/#!/dance-notes

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ローザス・ダンス・ローザス(全編版)
 
ローザス・ダンス・ローザス 舞台版新収録

アクターランド Achterland, Anne Teresa De Keersmaeker 1 de 7





ビヨンセの盗作問題関連映像
ビヨンセ -カウントダウン(PV)
http://www.youtube.com/watch?v=2XY3AvVgDns



ケースマイケルの声明文

Like so many people, I was extremely surprised when I got a message on Facebook about the special appearance of my two choreographies – Rosas danst Rosas (1983) and Achterland (1990) in Beyoncé’s new videoclip Countdown. The first question was whether I was now selling out Rosas into the commercial circuit.

When I saw the actual video, I was struck by the resemblance of Beyoncé’s clip not only with the movements from Rosas danst Rosas, but also with the costumes, the set and even the shots from the film by Thierry De Mey. Obviously, Beyoncé, or the video clip director Adria Petty, plundered many bits of the integral scenes in the film, which the videoclip, made by Studio Brussel, gives a taste of juxtaposing Beyoncé‘s video and the Rosas danst Rosas film. But this videoclip is far from showing all materials that Beyoncé took from Rosas in Countdown. There are many movements taken from Achterland, but it is less visible because of the difference in aesthetics.

People asked me if I'm angry or honored. Neither. On the one hand, I am glad that Rosas danst Rosas can perhaps reach a mass audience which such a dance performance could never achieve, despite its popurality in the dance world since 1980s. And, Beyoncé is not the worst copycat, she sings and dances very well, and she has a good taste! On the other hand, there are protocols and consequences to such actions, and I can't imagine she and her team are not aware of it.

To conclude, this event didn't make me angry, on the contrary, it made me think a few things. Like, why does it take popular culture thirty years to recognize an experimental work of dance? A few months ago, I saw on Youtube a clip where schoolgirls in Flanders are dancing Rosas danst Rosas to the music of Like a Virgin by Madonna. And that was touching to see. But with global pop culture it is different, does this mean that thirty years is the time that it takes to recycle non-mainstream experimental performance? And, what does it say about the work of Rosas danst Rosas? In the 1980s, this was seen as a statement of girl power, based on assuming a feminine stance on sexual expression. I was often asked then if it was feminist. Now that I see Beyoncé dancing it, I find it pleasant but I don't see any edge to it. It’s seductive in an entertaining consumerist way.

Beyond resemblance there is also one funny coincidence. Everyone told me, she is dancing and she is four months pregnant. In 1996, when De Mey‘s film was made, I was also pregnant with my second child. So, today, I can only wish her the same joy that my daughter brought me.

Anne Teresa De Keersmaeker
October 10th, 2011

女学生によるローザス・ダンス・ローザス

アンヌテレサドゥケースマイケル - ティエリドゥメイ - カウンターフレーズ - 水 映像作品

「de keersmaeker anne teresa counter phrases2」映像作品

Anne Teresa de Keersmaeker - Ma mere l'oye - Extract 1 映像作品

Anne Teresa de Keersmaeker - Ma mere l'oye - Extract 2 映像作品

ケースマイケル - リゲティ

ソング|ローザス/アンヌテレサドゥケースマイケル

アンヌテレサドゥケースマイケルローザスバッハフランス組曲

インタビュー(オランダ語?)

Dansschool van Anne Teresa De Keersmaeker danste op het Ladeuzeplein - 15 oktober 2011 (2)



D`un soir un jour(牧神の午後への前奏曲

ローザス リミックス

Zeitung


A love supreme

Rosas-Anne Teresa De Keersmaeker & Salva Sanchis

ローザスのジャズを使った作品(具体的には「ビッチュズ・ブルー」)に対する菊池成孔の批判 http://www.kikuchinaruyoshi.com/dernieres.php?n=070115181823 
RTBF recording of danse performance by Anne Mousselet and Nordine Benchorf

PARTS at work #5: Zeitung(ローザスの学校)

ユネスコの国際ダンスデー2011

Once Anne Teresa De Keersmaeker



インタビュー 「Songs」について

インタビュー(フラマンス語)

THE SONGS#1

ローザス映像(ニコニコ動画
http://www.nicovideo.jp/tag/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%82%B9

Cesena 2011 ̵1; 3Abschied 2010 –; En Atendant 2010 – The Song 2009 – Zeitung 2008 – Keeping Still part 1 2007 – Bartók/ Beethoven/ Schönberg Repertory Evening 2006 – D'un soir un jour 2006 – Desh 2005 –; Raga for the Rainy Season / A Love Supreme 2005 – Kassandra - speaking in twelve voices 2004 – Bitches Brew / Tacoma Narrows 2003 –; (but if a look should) April me 2002 – Once 2002 – Repertory Evening 2002 – Rain 2001 – Small hands (out of the lie of no) 2001 – In real time 2000 – I said I 1999 – Quartett 1999 – With / for / by 1999 – Drumming 1998Duke Blue-beard's castle 1998 – 3 Solos for Vincent Dunoyer 1997 – Just before 1997 – Woud, three movements to the music of Berg, Schönberg & Wagner 1996 – Erwartung / Verklärte Nacht 1995 – Amor constante, más allá de la muerte 1994 – Kinok 1994 – Toccata 1993 – Erts 1992 – Mozart / Concert Arias. Un moto di gioia. 1992 – Achterland 1990 – Stella 1990 – Ottone Ottone 1988 – Bartók/Mikrokosmos 1987 – Verkommenes Ufer / Medeamaterial / Landschaft mit Argonauten 1987 – Bartók / Aantekeningen 1986 – Elena's Aria 1984 Rosas danst Rosas 1983 Fase, Four Movements to the Music of Steve Reich 1982 – Asch 1980

2011年ダンスベストアクト

 2010年ダンスベストアクト*1*2*3 *4を掲載することにしたい。原稿はまだですが、とりあえずリストだけ先に掲載します。さて、皆さんの今年のベストアクトはどうでしたか。今回もコメントなどを書いてもらえると嬉しい。

2011年ダンスベストアクト
1,白井剛「静物画-still life」@京都芸術センター
2,アンサンブル・ゾネ「Still Moving2」@両国シアターX(カイ)
3,Monochrome circus「ENSEMBLE」@アートシアターdB
4,東京ELECTROCK STAIRS「届けて、かいぶつくん」@シアタートラム
5,KIKIKIKIKIKI「ぼく」アイホール
6,contact Gonzo「Musutafa United V.S.FC Super Kanja」アイホール
7,黒子沙菜恵+宮北裕美「服をきるように さらっと振付て踊る」@アートシアターdB
8,いいむろなおき「Yのフーガ'11」神戸アートビレッジセンター
9,金魚「HEAR」青山円形劇場
10,矢内原美邦構成・振付「お部屋」@松山ひめぎんホール

*1:2006年ダンスベストアクトhttp://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20061229

*2:2007年ダンスベストアクトhttp://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20080102

*3:2008年ダンスベストアクトhttp://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20090111

*4:2009年ダンスベストアクトhttp://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20091224

平田オリザインタビュー・国際演劇フェスティバルと拠点劇場

 リニューアル後、第2弾となる「act」21号では「京都国際舞台芸術祭(KYOTO EXPERIMENT)」などの国際演劇フェスティバルを中心に劇評をとりあげ特集とします。恒例となった巻頭インタビューでは平田オリザ氏を迎え、日本で最近盛況になりつつある都市型の国際演劇フェスティバルと劇場法などで想定している拠点劇場の関係について、フランスなどでの状況などを踏まえて語ってもらいました。
 中西理(以下中西) 平田さんは今回KYOTO EXPERIMENTにアンドロイド演劇「さようなら」で参加なさったわけですが、これまでもフェスティバル/トーキョー(F/T)のような総合舞台芸術フェスティバルや昨年のあいちトリエンナーレのような総合芸術フェスティバルにも参加なさっています。さらには国内だけではなくフランスを中心に海外でも豊富な国際フェスティバルへの参加の経験があります。内外の事情に詳しい平田さんに今の日本の国際フェスティバルの状況をどのように見ていらっしゃるか、フランスなどの場合、拠点劇場と国際フェスティバルは異なる役割を担っているということを以前おっしゃられたことがあると記憶してます。このあたりのことをまずお聞きしたいのですが。
 平田オリザ(以下平田) ヨーロッパの特に大陸の方の場合ですが、国際フェスティバルという大きな円盤と公共ホールという大きな円盤が回っていて、これは垂直方向にも多少は重なってはいるけれど、前者は国際マーケットで後者は国内マーケットなのでそれはそれぞれに違います。国際マーケットは年々見本市的な性格が強くなっていて、いいフェスティバルほど若いプロデューサーとか芸術家とかが集まってきて新しいものを買い取っていくという機能があります。典型例はチェルフィッチュの岡田(利規)さんがベルギーのクンステン・フェスティバル・デザール*1で大成功して、以後何年にもわたって欧州市場でフェスティバルをまわるということが起こっている。
 平田 フェスティバルには非常に大きなヒエラルキーがあって、トップレベルのエジンバラアビニョンからクンステンのようなより小規模だが特色を持たせたもの、そして地方の夏に行われるさまざまな大きさのフェスティバルがあります。1回作品がヒットすると日本の場合には3〜5カ所あればツアーが組めますから、例えば100のフェスティバルがあるとすれば原理的には20年はツアーを続けられる、そういう大きなマーケットがあるわけです。
 平田 一方で国内市場はフランスならフランス、ドイツならドイツで強固な劇場システムを持っています。フランスの場合、国立演劇センターがそれぞれ作品を作って、それをお互いが買い支えていくという仕組みです。その場合にアビニョンなどでも発表する、それは海外なども意識した作品が多いわけですが、国内市場の見本市的な役割も果たしていて、7月には劇場のプロデューサーや芸術監督はバカンスに入ってますから、そういうところに来て1〜2週間滞在して、翌シーズンか翌々シーズンのラインナップを買い取っていくという風になっています。ですからフェスティバルと拠点劇場には多少の接点はあるわけです。
 中西 それではアビニョンエジンバラが夏のシーズンにあるのはそういう事情があるからでしょうか?
 平田 もちろんそうです。そして、見本市機能が増しているなかでクンステンがいま力を持っているのは芸術監督が非常に目利きで、世界中を回って最先端のしかもフェスティバルが呼びやすいものをうまく選んで上演しているというのがあるわけですね。例えば少人数であったりとか、セットが少ないとか、祝祭性が強いとかいうようなこともあります。だから、青年団はあまりフェスティバルには向いていなくて、公共ホール向きなんですよ。フェスティバルは1日に何本も見ますから刺激の強いものとかの方が喜ばれる傾向がある。アビニョンとかエジンバラというのはご承知の通りフリンジ機能というのが非常に大きくて、アビニョンはたぶん年に20〜30の正式招聘作品に対して、約1000のフリンジの作品があって、このフリンジも段々と評判が出てくるとお客さんも集まるし、劇評もでるし、劇評を表に貼ってとかチラシ配ってとかすごい涙ぐましい努力をして人を集める。それで本当に1000あるうちの30とか50とかがどこかに買い取られていく。そのうち本当に買い取られていくのは1ケタかもしれません。
だから、アビニョンドリームとかエジンバラドリームというのは今は本当に少なくなっていて、それよりはいったん選抜を経たクンステンのようなものの方がチャンスがつかみやすくなっている。アビニョンとかエジンバラとかは本当にお祭りだから、プロデューサーも来るけどなに見ていいか分からないから雲をつかむような話なので大変ですよね。だから本当に見本市機能をさらに強化したようなものの方に流れていっているかなというイメージはあります。
 中西 海外のフェスティバルと比べて、日本のフェスティバル/トーキョー(F/T)やKYOTO EXPERIMENTはどうでしょうか? 後、日本の場合にはもう少し規模は小さいですが鳥の演劇祭とか静岡ののように拠点劇場が主催して開催している国際演劇祭もありますが、これはどうでしょうか。
 平田 もともとさかのぼればもちろん国際フェスティバルの最初は利賀フェスティバルで、国際フェスティバルにはもうひとつ大きな役割として海外の文化に触れるという本質的なものがあると思うんですね。利賀のフェスティバルには海外の最先端のものに日本の演劇人が恒常的に触れられるようになったという大きな意味があったわけですが、時代とともに国際フェスティバルの役割も変わってきた。そろそろ日本でも見本市的な役割のフェスティバルが求められていたところにFTができて、それまでの蓄積もあったわけですが、やはりF/Tになってから、圧倒的に海外からのプロデューサーや芸術監督の来日が増えたことはもう間違いがないです。いくら韓国が文化予算を使っても日本の方がまだまだ表現の多様性があるので、(海外市場への)吸引力がある。F/Tができたことは非常に喜ばしいことで、それに鳥の演劇祭とか静岡が異文化の紹介という最先端のものを紹介する機能を補完して果たしているということが今の状況でしょう。
 中西 それではF/TとSPACの演劇祭では機能が違うということですか?
 平田 SPACは立地条件もあって、毎週末にしか上演できないので見本市的な機能は持たせにくいですね。ただ、静岡がないと本当に最先端のものに触れる機会がF/Tだけになってしまう。昔と違ってあまり世田谷パブリックシアターとかが呼ばなくなってしまったのでそれはそれで大事な役割があると思います。
 中西 そのなかでKYOTO EXPERIMENTの位置づけはどのように考えたらいいのでしょうか?
 平田 そこは多少なりとも立ち上がりの時からアドバイザー的な立場でかかわってきたので、僕がずっと言ってきたのは最初のうちはいいけれども、京都という土地柄からいって、フリンジ的ものを伸ばしていくのがいいじゃないかということです。フリンジ機能はFTもやっていますが、弱いんですよね。東京はだだっ広いから。フリンジというのはエジンバラとかアビニョンみたいに城郭都市で、城郭の中で歩いて全部行けるところでそこかしこにあるというのが、フリンジのいいところなんで、京都はぎりぎりそれができる街なのです。それから京都のブランドイメージがあるから、フェスティバル/トーキョーに来るプロデューサーも、芸術監督も2〜3日京都に足を延ばすかということになって嫌だという人はいないわけで、だとすればFTとのすみ分けを図る意味でもフリンジ機能を強化した方がいいんじゃないかと思うわけです。それは徐々に出てきてるとは思うのですが。もちろん、フリンジ機能というのはフリンジだけではできなくて、集客力のある目玉の作品とフリンジという関係性ですから、フリンジの方は玉石混交でいいと思っているのだけれど、まだそこら辺の割り切りが弱いというか、もっとメチャクチャにした方がいいと思います。つまり、クンステン型の目利きが選んでくるフェスティバルを目指すのか、フリンジ型で徹底させるのかをもう少しはっきりさせた方がいい。それで僕はある種のクオリティーを保証するというのは今の体制ではちょっと厳しいのではないかなと思っている。お金もないといけないですしね。
 中西 そうですね。フェスティバル/トーキョーがどういう体制でやっているのかは分からないのですが、「KYOTO EXPERIMENT」は2人のプロデューサー(橋本裕介、丸井重樹)がすべてを手づくりでやっているような感じもあります。おそらく、もう少し体制というか、その下にグループとしてのフェスティバル運営ができるスタッフがいないとしんどいかもしれませんね。
 平田 フリンジを増やして自己増殖型にした方がたぶんいいと思うんですけどね。
 中西 最初はあの体制で毎年やるとは思っていなかったのでちょっとびっくりしました。
 平田 でもよくやっているし、今年からは文化庁の比較的大きな予算もとってこられたわけですから、滑り出しとしては上々じゃないかと思います。それはいろいろ言う人はいると思うんですが、そんなすぐにできるものではないんです。アビニョンだって何十年という伝統があってあそこまでになってきたわけですから。
 中西 日本だけの特殊な形態なのかもしれませんが、そのほかに平田さんも参加したあいちトリエンナーレのようにアート系の大きなフェスティバルの一部に舞台芸術が含まれているという場合もありますよね。単発ではありますが、瀬戸内国際芸術祭が維新派を招聘している例もあります。特にあいちトリエンナーレはパフォーミングアーツの部門だけでも質量ともに国内の舞台芸術フェスティバルと比較してもひけをとらないどころか、それを上回るような質量があり、1回目だったということもあり、今後どのようなことになるのかはまだまだ予断を許さないところもあるのですが。
 平田 あいちトリエンナーレは本当にああいう形でやっていただいてよかったなと思っています。今後もああいうことは増えていくだろうと思いますし、それもまた大きなマーケットになっていくことは間違いないでしょう。
 中西 いままでの話に出たフェスティバルでF/TやKYOTO EXPERIMENTなどは独立した実行組織があるわけですが、鳥の劇場やSPAC、そしてあいちトリエンナーレで主体となった愛知県芸術文化センターのように拠点劇場として想定されているような劇場が演劇フェスティバルを主催している例も多いようですが、日本における機能の分化などについて平田さんはどのようにお考えなのでしょうか?
 平田 ヨーロッパのフェスティバルの場合は小さい町でやるものの方が多いのです。特に夏のバカンスシーズンなどにそれをひとつの目玉にして町中のいろんな空間を劇場にするということで、例えば今年私たちが行ったイタリアのサンタルカンチェフェスティバルなんとのは劇場がないんですよ。小劇場が1個あるんですが、本人たちも劇場はないと言って納屋みたいなところだとか、「ヤルタ会談」は市議会の議事堂でやったという風にいろんなところ、ありとあらゆるところを劇場にしていく。その面白さはやはりあるんです。まあ、後やはり向こうの夏は雨がそんなには降らないので、野外もできるというのもあります。だから、日本では今までは大きな都市でやっていたので、もっと小さな町がやるのがまずひとつの選択肢だと思います。一番そのイメージに近いのは沖縄市のキジムナーフェスティバルだと思いますが。中核にある劇場はもちろんあってもいいのですが、鳥の演劇祭がだんだんそれに近づいてきてますね。この間「ヤルタ会談」は鳥の演劇祭でも旧鹿野町の町議会の議事堂でやった。そういういろんなスペースを使ってやっていくというのが一般的になっていくと面白くなっていくのではないかと思います。京都もその可能性が十分にある。いろんなスペースがありますから。京都は大都市なんだけれどそれができるちょっと稀有な都市ではないかと思います。周囲を囲まれているし城郭都市に近いでしょ。
 中西 日本の都市では京都がエジンバラと一番似ている感じがします。私が海外の演劇祭を見てきた印象ではたぶん、あのくらいの規模の町が大きさの限界だと思います。
 平田 そうです。限界です。
 中西 東京とかニューヨークとかだったら埋もれてしまってやってる感じがしないのじゃないかと思います。東京国際映画祭などを見ていていつもそう思っていました。
 平田 だから東京の場合は(F/Tは)これまでそういうものがなかったから機能としてはいいのですが、今後ほかの競合するものがでてくると考えなきゃいけないってことになるでしょうね。今は非常に役割をはたしてくれているので有難いのですが。
 中西 一時、演劇祭というのはそういう形式ではないものがバブル時代というか80年代にたくさんあったのが、急速になくなってしまいましたよね。そういうものと今やられているF/TやKYOTO EXPERIMENTでは集客性というか、作品の前衛性などで違いがあると思われますが。
 平田 そこら辺は本当にこれからの課題でもあって、メインの集客性が見込めるものとフリンジとのバランスを継続性を考えると取っていかなくてはならなくて、それはまあ試行錯誤ですごく前衛によってしまう時と大衆性によってしまう時といろいろあって段々とフェスティバルの色というのは固まってくるのです。だから1〜2回開催のであれこれ言わなくてもいいんじゃないかと思っている。ただ、言わないと揺り戻しもないから、言うのは大事なんですが。それでだめっていうことにはならないと思います。
 中西 拠点劇場の方はどういう役割を果たすことになるのでしょうか。
 平田 国がお金を出して演劇作品を作るということを新国立劇場だけにまかせるというのは明らかにゆがんでいるし、非効率なので「創る劇場」というのを10とか20とか30とかきちんと決めて、そこにはちゃんと競争もあって、JリーグのJ1、J2みたいな感じで、そこはきちんと作品を国の責務として作る。それと「見る劇場」、これは地域拠点で別に作らないということではないのだけれど、基本的には買い取りながら回していくというところに機能を分化させていくべきだと僕は考えています。
 平田 たくさんの劇場があって全部が全部作品を作れるわけじゃないじゃないですか。だとすればそれはやっぱり、空港行政や港湾行政と同じで、選択と集中がどうしても必要であると思います。
 中西 そういう中で関西では拠点劇場という役割を今担えるような劇場が兵庫県立芸術文化センター以外は大阪も京都も現状では見当たらないということがあって、その中でひとつ平田さんも準備段階でかかわっていらっしゃる「ナレッジシアター」、あれも当初計画よりはちょっと遅れているようなこともお聞きしているのですが、現状と見通しについて少しお聞きしたいのですが。
 平田 先ほども会議があったばかりなんで、本当に今どうなるかの瀬戸際ぐらいなので、今、話したことと結果として違う可能性があるので、まったく分からないのです。ただ、大阪市内にそういうものがないというのは今確か重点拠点は11カ所全国にあると思うのですが、大阪市内にないというのは特に演劇において、兵庫はどちらかというとオペラ、びわ湖ホールもそうですから、明らかにバランスを欠いている。民間がやるのか、行政がやるのかということは別にしてそれはやはり将来的には必要ですよね。
 大阪大学としては1回総長が替わって、停滞しちゃったんですが、昨日、きょうあたりの話し合いでまあ大丈夫だろうということになったのですが、もう1回上の方で話し合いはしていて、後、1、2週間で結果が出る。いずれにせよ今は私の手を離れてしまっていてそちらの方での結果がでるのを待っているところです。
 中西 京都はどうなんでしょうか?
 平田 京都も市の芸術会館について検討が進んでるようです。
 中西 京都会館のことでしょうか? 建て替えは小劇場などと関係があることなんですか。
 平田 多少関係はあるんじゃないでしょうか。いまいろいろやっているということを聞いています。あそこも貸館需要もあるので、いろいろ難しいみたいなのですが。
 平田 まあやっぱり芸術監督のいる創造拠点は欲しいですよね。基本的に劇場法というのはそんなに難しいことを言っているわけではなくて、劇場というのはただ鑑賞の場ではなくって、創造の場ですよ、ということ。創造の場である以上は専門家が必要ですよ、ということだけなんです。それを法律で根拠づけるということだけなんです。階層化みたいなことは法律にはなじまないんで、実際には現実の助成金の出方もそうなっているので、それを裏付けるような概念的な法律を作るということです。
 中西 フェスティバル/トーキョーやKYOTO EXPERIMENTに出ている助成金というのはどういう類のものなのでしょうか?
 平田 それは国際フェスティバルに対する助成です。それは昔に比べて潤沢に出るようになっています。
 中西 それでは劇場法と関係なくそういう助成金などは続いていくということなんですね。
 平田 もちろんです。それももう少し分業と競争と淘汰が進むと思います。つまり、今はアーツカウンシルがないから分業は個別の申請段階で、自分たちで考えなくてはいけない。だから国の政策というのはあまり出ないのですね。本来だったらアーツカウンシルで主導して、あなたはこういうのをやっていただくといいのですけどねというようなことがもうちょっと言えるといい。それでもちろん拒否してもいいわけです。やるのは自治体だから。今はバラバラで逆に言うと市場にまかせすぎじゃないかと思っています。
 中西 平田さん、あるいは青年団とフェスティバル、拠点劇場との関係なのですが、今海外ではフェスティバルにはロボット演劇あるいはアンドロイド演劇で参加していることが多いですよね。
 平田 だから先ほど申し上げたようにうちはあまりフェスティバルに向いていないんですね。例えば去年「東京ノート」でシビウの演劇祭に行ったのだけれど、うちはやはり待遇がいいので夜10時からとかの開演だったんです。8時からとか10時からとかは待遇がいいメーンです。お客さんは朝からずっと見ていて最後に疲れきって見るから、あんまり向いてないんです。だから、そういうものよりはアンドロイドのような客寄せ的なものの方が好まれて、おそらくこれからはフェスティバルに呼ばれるのはそういうものの方が増えていくと思います。今年もイタリア・ナポリ演劇祭とサンタクアンドレ演劇祭に行ったんですが、それは「東京ノート」と「ヤルタ会談」をセットで持って行ったんです。そしてジュネーブのバティックという演劇祭も「ヤルタ会談」とセットで持っていった。「ヤルタ会談」を見て「東京ノート」を見るといいんですよ。「ヤルタ会談」で少し慣れておいて見るとすごく評判がよくて、だからそういう風にやはり工夫しないと、うちみたいにある程度ブランドイメージが確立してきている劇団でさえも、フェスティバルに行くとなるとなかなかうまくいかない。今度「ソウル市民」5部作を持っていってできれば2年後にアビニョンでやりたいと思っているのですが、そういう一挙上演みたいでなのは1日中ずっと見ているからいいわけなんです。
中西 平田さんに聞くことではないのかもしれませんが、アビニョンフェスティバルは何年か前の日本特集が評判がよくなくて、それ以来日本の劇団がやりにくくなっているというのは難しくなっているという風に聞いたことがあるのですが。
平田 それはそうではないです。評判が悪かった、あまり成功しなかったのは確かですけれど、日本の劇団がやりにくいというのは文法的におかしいですね。だってフリンジは全部開かれているわけですから。
中西 すいません、呼ばれにくいという意味でした。
平田 呼ばれにくいというのはアビニョン自体がフランス語上演が多くてそんなに海外の作品を呼ばない傾向になっているからじゃないでしょうか。そうは言っても2006年ではフレデリック・フィスバックがやった「ソウル市民」は正式招待でした。それでル・モンドの1面に出ましたから、だから、決してそういうことはないです。まあ、フラットだから。いいものはいいし、だめなものはだめ。毎年ディレクターも変わりますし。ただ、(日本特集の失敗で)日本に対する幻想はなくなったということはあります。アビニョンは本当にもうはっきりしていて、正式招待とフリンジとでは全然待遇が違う。「ソウル市民」なんて打ち上げはプールのあるレストランで泳ぎながらシャンパンを飲んでいて、一方でフリンジ参加の劇団はざこ寝ですから、中核に入らないとはっきり言って意味がない。それよりは若手の人たちに言っているのはもうアビニョンでフリンジに行く時代ではない。それよりはF/Tに行ってちゃんとした作品を作ればそこにクンステンのフェスティバルディレクターは毎年来るわけだから、そこで認められる方が全然効率はいいんだよと言ってます。やっとそういう時代になったということですね。だから逆に言うとアビニョンに台湾とか韓国の劇団がいますごくたくさん来ていますが、それはアビニョンにフリンジで参加することがまだステータスになる国だからですよ。(日本では)今はもう構造は分かってしまっているでしょ。だれでも行けるんだということが皆知っちゃっているから、アビニョンから帰ってきましたといっても、スタンディングオベーションで大変だったといっても「へえ、そう」という感じ。それがニュースになったのは日本では20年以上も前のこと。
中西 海外のフェスティバルに行っても次につながらないと仕方ないですからね。
平田 そうです。そして、そういう意味でもつながりやすいクンステンに行く方が確率が高くて、クンステンに行くには日本でやっていてもチャンスはある。そのチャンスをもらえるようになったのはF/Tのおかげだということです。
中西 以前だったら海外公演は日本である程度実績を積んだ劇団が万全の準備をして行っていたのに対し、最近は旗揚げしてまもないような若手劇団が次々と出かけていって、それもただ行くというだけじゃなくて、ちゃんとマーケットに乗っているようなことが増えているような気がするのですが。
平田  それは本当にいいことだと思います。それはある程度ノウハウが確立して、才能のある人が才能をちゃんと伸ばせるようになったというのはいいことで、後はアーツカウンシルができればと思います。国の助成金だけで何度も行っているような劇団は淘汰されるべきだと思います。だけど今の現状は書類を書くのがうまいところが、行っているところがあるから、本当に行かせたいところを行かせるようにしないと思う。セゾン文化財団はクンステンと組んでそれをやっているでしょ。本来あれはアーツカウンシルがやるべきことなわけです。推薦枠みたいなのをもらってどんどん向こうのフェスティバルで今回これどうですかみたいな感じでやるわけです。
中西 向こうの状況ははっきり分からないのですが、クンステンのようなフェスティバルとアビニョンとかエジンバラというのはまたリーグが違うのでしょうか。規模の大きなバジェットの大きなところと小規模なところの間には回る作品の方向性の違いのようなものも感じるのですが。
平田 巨大フェスティバルとそれの次のウィーンとクンステンでは違いがあります。クンステンというのはちょっと隙間産業のようにぐっと出てきたものなんです。そんなに規模を大きなしないで目利きが50集めてきますみたいな新しいタイプですよね。シーズンも全然夏じゃない時期にやるという。また、ブリュッセルという大きな都市で交通の便がよくて、ヨーロッパ中から集まりやすいということもあります。だから、それはそれで新しいマーケットを作ったということはあります。
中西 そして、そこからネットワークが出来てきたことで、プレゼンスが増してきているというのはあるわけですね。
平田 そうです。
中西 ただ、逆に言うとそこからメジャーリーグというべきなのかどうか分からないのですが、アビニョンエジンバラの正式招聘にステップアップして行こうと考えた時にそこには大きな壁があるとも聞いているのですが。
平田 それは少なくともアビニョンの場合はフェスティバルと公共ホールの関係があって、本来だったらこのフェスティバルから公共ホールの方に行ってそこで作った作品とかがアビニョンだから、それは岡田君も、じっくりそこの点について話したことはないのだけれど、オファーがないわけではないだろうけれど、迷っている部分もあるんじゃないかなと思います。要するにまだ彼はフランス語で作るということに多少の躊躇があるという話は聞いたことがあります。
中西 「水と油」がエジンバラとかアビニョンのフリンジをきっかけにいくつもオファーを受けて、ヨーロッパのツアーを始めてけっこういろんなところに呼ばれていた時期があったのだけれど、それだけでは限界を感じたというのを聞いたことがあります。何のために行くのかということもあると思うのですが。
平田 フェスティバルで回っている分にはそれはそれである程度商売になるんですが、やはり限界があるのと、そのうち飽きられる。僕は逆にフランスの公共ホールのマーケットの方に運よく入ったので、毎年クリエーションの依頼が来て、今も向こうで毎年作品は作っているわけです。それはもう非常に特殊な存在であって、運がいいとそれがアビニョンに行ったり、パリのフェスティバル・ドートンヌというのに参加したりするわけですが、そうすると巨額のお金が入ってくる。
中西 来年(2012年)は平田さんの予定はフェスティバル関係ではどうなっていますか。
平田 来年はフェスティバル・ドートンヌというパリの秋の芸術週間のようなところで、これに出ると予算も潤沢にもらえるので、これに出るかどうかを今交渉中です。これはロボット演劇の新作「三人姉妹」を考えています。それから、先ほども言った再来年のアビニョンでの「ソウル市民」5部作一挙上演というのも現在交渉中です。要するに1、2年前からいろいろ大雑把に話をしておいたのが急にぐっと決まっていくものなのです。
中西 アビニョンはもし上演するとしたら日本語上演で字幕をつけるということになりますか?
平田 日本語上演です。
平田 きょう話したことを最後にまとめるとするとやっと日本の若手の演出家が戦略を持って国際展開ができるような時代がやってきたということで、それはとてもいいことだと思います。
(2011年11月24日、大阪大学平田研究室にて収録)

  
  
 
 
  
 

 

「ダンス×アート 源流を探る ピナ・バウシュ」セミネールin東心斎橋WEB講座

【日時】2012年1月31日(火)p.m.7:30〜 
【場所】〔FINNEGANS WAKE〕1+1 にて
【料金】¥1500[1ドリンク付]
 セミネール新シリーズ「ダンス×アート 源流を探る」では80年代に日本に衝撃を与え、日本にコンテンポラリーダンスというジャンルが誕生するきっかけを作った海外アーティストを紹介していきたいと考えています。第1弾として5月にはW・フォーサイス*1を取り上げました。その後、別企画が続いたことなどでずいぶん時間が経過したのですが、今回は「源流を探る」の第3弾としてピナ・バウシュを取り上げたいと思います。   
コーディネーター・中西理(演劇舞踊評論)

 
 東心斎橋のBAR&ギャラリーを会場に作品・作家への独断も交えたレクチャー(解説)とミニシアター級の大画面のDVD映像で演劇とダンスを楽しんでもらおうというレクチャー&映像上映会セミネール。昨年から開始した新シリーズ「ダンス×アート」ではジャンルが一般化してから30年近い歳月がたちどこか閉塞感がただようような最近のコンテンポラリーダンスの状況に風穴をあけるためにも、「新鮮な驚きを私たちにもたらしたコンテンポラリーダンスとはいったい何だったのか」というのをもう一度原点に返ってじっくりと考えてみたいと思います。
 これまでレクチャーではウィリアム・フォーサイスローザス=ケースマイケルを取り上げてきましたが今回は与えた影響の大きさにおいてはその2人にひけをとらないどころか日本のコンテンポラリーダンスにはもっとも大きな影響を与え、そして現在も与え続けているピナ・バウシュを取り上げます。
 一昨年の突然ともいえる死去*2は私たちを驚かせるとともにファンを嘆かせましたが、2月には世界初の3Dダンス映画としてヴィム・ヴェンダース*3が製作した「Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち」が日本でもついに封切りになり、それに合わせて再評価の機運にも拍車がかかりそうです。
「Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち」予告編

 この映画はすでに大阪ヨーロッパ映画祭のオープニング上映として私も見たのですが本当に素晴らしい出来栄えのもので、2月の封切りの際にはピナのファンはもちろんそうでない人もぜひ一度は見てほしいのですが、今回はその前に「予告編」的にピナ・バウシュとはどんな振付家であったのかということについて、映像を交えながら楽しんで知ってもらいたいと思います。

1940年ドイツのゾーリンゲン生まれ。実家はカフェレストラン。14歳からエッセンのフォルクヴァンク芸術大学でクルト・ヨースに師事。18歳で首席卒業後、国費交換留学生としてニューヨーク、ジュリアード音楽院舞踊科に入学。アントニー・チューダーの勧めによりメトロポリタン・オペラ・パレエ団やニュー・アメリカン・バレエ団などで活動。
1962年に帰国し、フォルクヴァンク舞踊団でソリストとして活躍。振付を開始し、1969年には芸術監督に就任。この年フォルクヴァンク芸術大学の教授にもなっている。同年の作品 『時の風の中で』 がケルンの国際振付家コンクールで1位を獲得した。
1973年、ヴッパタール舞踊団の芸術監督に就任する。
ドイツ表現主義舞踊の権威であるヨースの影響を色濃く受け継ぎながら、演劇的手法を取り入れたピナ独自の舞踊芸術は演劇とダンスの融合とも言われ、彼女自身は「タンツ・テアター」と呼ぶ。
1983年フェデリコ・フェリーニ監督の映画 『そして船は行く』 に出演。 1999年坂本龍一オペラ 『LIFE』 に出演。 2002年にはペドロ・アルモドバル監督作品 『トーク・トゥ・ハー』 の冒頭で代表作である「カフェ・ミュラー」を彼女自身が踊っている。
2009年6月30日、ガンの告知を受けた5日後に68歳で死去した。日本では前年(2008年)4月2日の滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホールで、『フルムーン』を踊ったのが最後の公演であった。

 以上の経歴を見れば分かるようにピナ・バウシュは当時ノイエタンツなどとも言われていたドイツ表現主義舞踊の本山であるエッセンのフォルクヴァンク芸術大学の出身で、ここでクルト・ヨースに師事した後にアメリカに留学します。アメリカではジュリアード音楽院舞踊家でアントニー・チューダーらにも学び、その後、ダンサーとしていくつかのバレエ団でも踊りますが、渡米したのが1958年、ドイツへの帰国が69年ですから、マーサ・グラハムからマース・カニングハムそしてジャドソン教会での前衛的な実験の息吹をほぼ同時代で体験したわけで、バレエ団に所属していたこともあり、モダンダンス、ポストモダンダンスのなかに直接いたわけではありませんが、同時代の表現者として強い影響は受けました。
 京都賞受賞の際の講演の中でもピナは「当時のアメリカのダンス界は、ジョージ・バランシン、マーサ・グラハム、ホセ・リモン、マース・カニングハムといった卓越した人たちが活躍する黄金時代でした。私が学んだジュリアード音楽院の教授陣も、アントニー・チューダー、ホセ・リモン、グラハム舞踊団のダンサーたち、アルフレッド・コルヴィーノ、マーガレット・クラスクといった顔ぶれでした。さらに、ポール・テイラー、ポール・サナサルド、ドーニャ・フォイアーらとも数え切れないほど一緒に活動しました」と話しているのですが、そういう影響の元でピナ・バウシュは最初の作品創作をはじまるわけです。
京都賞の講演 http://www.inamori-f.or.jp/laureates/k23_c_pina/img/lct_j.pdf
乗越たかお http://eplus.jp/sys/web/s/pina/index2.html
 それではドイツ表現主義舞踊について少し説明しておきたいと思います。バレエに対しての新舞踊が20世紀初頭に世界各地で出てくるわけですが、アメリカのモダンダンスに対して、ドイツで登場した新しいダンスをノイエタンツあるいはドイツ表現主義舞踊といいます。これはまずアメリカのイサドラ・ダンカンらに対して、ドイツにマリー・ヴィグマンが出てきたことから始まります。短い抜粋しかありませんが、これがマリー・ヴィグマンの映像です。彼女の代表作で「魔女の踊り」と言われているものです。
Mary Wigman

 マリー・ヴィグマンの次に出てきたのがクルト・ヨースという人で、その代表作がこの「緑のテーブル」。ピナ・バウシュはこの人の直弟子ということになります。ウッバタール舞踊団の芸術監督にピナが就任したのは1973年なのですが、その最初のプログラムではピナ自身がこの「緑のテーブル」と米国留学中に学んできたと思われるアグネス・デ=ミルのバレエ「ロデオ」を踊っています。 
Kurt Jooss - La Mesa Verde (1932)クルト・ヨース「緑のテーブル」

アグネス・デ=ミル「ロデオ」

Susanne Linke 「Frauenballett」

Susanne Linke created „Frauenballett" in 1981 for the Folkwang Tanzstudio (FTS). The piece became successfull immediately -- the FTS toured all around the world with it -- and numerous companies put it on their playing schedule. In 1992/93, Susanne Linke again produced „Frauenballett with dancers of Folkwang Tanzstudio - and very recently in 2010 as part of the „2nd Biennale Tanzausbildung". The revival celebrated on 4 March premiere in Essen.

Pina Bausch - Das hat nicht aufgeh醇rrt, mein Tanzen ...

ピナ・バウシュドキュメンタリー(2006) http://www.ubu.com/film/bausch_linsel.html
Choreographer Pine Bausch (April 2009)

Another amazing excerpt from the 2008 Paris production of Pina Bausch's 1975 choreography to Gluck's opera of Orpheus and Eurydice. "Choreography" has become too small a word for me when describing Bausch's accomplishment with this opera. This is a triumph on every level that actually surpasses the opera itself when in almost every case in history opera serves as nothing more than a Mephistopheles for the performance artist, literally the devil. Everyone thinks they can interpret opera with dance or some kind of movement when opera is already a full work, it's beyond full, it's bloated. It seldom stops when it should and is often more than anyone needs...all opera is done in 2 hours yet none are less than 2 and a half.

When choreographers and performace artists play with opera, it's like a child playing with matches in a barn while having an epileptic fit during the worst drought in 30 years: no good can come of it. But one pulled it off. Pina Baush was one of the most complicatedly understated artists of our time (that made sense even though it sounded like it didn't). I didn't get her for a long time. I liked Cafe Muller because I thought it was like a Saturday Night Live sketch and compared to MacMillan and Bejart and everyone who butchered Stravinsky's "Rite of Spring" in the absence of Nijinsky's 70 year long lost choreography, I thought Bausch's was the least ridiculous. But it wasn't until I found her work to "Orpheus" that I was struck by her genius. Now I can see her other work more clearly. Maybe you see it too.

Unfortunately the quality of this clip sucks. AND the shot should have been wider because there is so much more happening on the stage than what was filmed. I looked everywhere for something better. Nothing. Best I could find.

Das Tanztheater der Pina Bausch

Pieces

1973
FRITZ
Dance-evening by Pina Bausch
Music: Gustav Mahler, Wolfgang Hufschmidt
This program was completed by „The Green Table“ choreography Kurt Jooss and „Rodeo“choreography Agn醇Qs de Mille

IPHIGENIE AUF TAURIS (IPHIGENIA IN TAURIS)
Dance-opera by Pina Bausch
Music: Christoph W. Gluck
IPHIGENIE AUF TAURIS de Christoph Willibald Gluck (2010-11)

1974

ICH BRING DICH UM DIE ECKE (I´LL DO YOU IN)
Popmusic ballet by Pina Bausch

ADAGIO – FIVE SONGS BY GUSTAV MAHLER
by Pina Bausch

1975

ORPHEUS UND EURYDIKE◎
Danceopera by Pina Bausch
Music: Christoph W. Gluck
Orphee et Euridice - Pina Bausch

このように最初の数年間は、私にとってとても難しい時期でした。苦しいこともありました。しかし、私は物事を簡単に投げ出すような人間ではありません。一筋縄ではいかない事態でも、私は逃げません。どんどん仕事を進めました。他にやりようがなかったのです。どのように私が考えるのかを話し続け、行うよう試みました。そうしなければなりませんでした。
そんな時に私を助けてくれる一人の男性が現れました。それがロルフ・ボルツィクです。『オルフェウスとエウリディーチェ』が、ヴッパタールで初めて彼とともに創った作品です。ロルフ・ボルツィクと私は仕事を一緒に行っただけでなく、共同生活も始めました。私たちは、フォルクヴァンク・シューレの学生時代からの知り合いでした。彼はグラフィック専攻で、デザインに卓越した才能を持ち、写真家であり、画家でもありました。学生時代からありとあらゆる発明を行っていて、例えば、水上走行も可能な折りたたみ自転車などを開発していました。彼はあらゆる技術的な物や、飛行機や船の開発に関心がありました。非常にクリエイティブな人でしたので、まさか自分が舞台美術家になるなどとは考えもしなかったでしょう。同様に、私も自分が振付家になるなど全く思いもしませんでした。ただ踊りたかっただけなのです。私たちは二人とも、なるべくしてそうなっただけのことなのです。
共同作業は、非常に密度の濃い集中的なものでした。私たちはお互いから刺激を受け、どの作品においても何千ものアイデアを出し、おびただしい数の案を作りました。新しい作品の成立過程で、質問し、試み、迷い、そして絶望している時ですら、私たちは相手を信頼することができたのです。ロルフ・ボルツィクは、いつもすべてのリハーサルに立ち会いました。常にそこにいて、私をいつも支え、守ってくれました。彼の想像力は豊富で、途切れることがありませんでした。
七つの大罪』では、彼は舞台技術者と劇場から街中へ出て行き、ある道路の型を取ってきました。舞台上の道路が本物らしく見えるようにするためです。彼は舞台美術家として、自然の物をステージ上に登場させた最初の人物です。例えば、『春の祭典』では舞台は土で覆われましたし、『青髭』では落ち葉、『私と踊って』では木や薮や柴、『アリア』ではついに水まで使用しました。すべて70年代の作品です。大胆かつ美しいプランでした。そのうち、動物も舞台に登場するようになります。カバやワニも、彼の発案でした。いつも劇場の工房では、「そんなこと無理だ」とまず言われました。しかし、ロルフ・ボルツィクはどのようにすれば実現するかを知っていて、すべて実現させてしまったのです。彼自身は、自分の舞台を「自由な活動空間」と呼んでいました。彼の言葉に従えば、「我々を楽しくさせ、残酷な子供にする空間」だというのです。ダンサーたちは皆、彼を尊敬し、とても愛していました。彼が撮ったリハーサルや公演時の写真は、親近感にあふれ、情愛に満ちています。誰もこのような見方はできません。
彼の最後の舞台美術作品は、『貞女伝説』です。私たちは彼がもはや長くは生きられないということをずいぶん前から知っていました。しかし、この『貞女伝説』という作品は悲劇的な痛ましい作品ではありません。ロルフ・ボルツィクは、愛を求める気持ちと生きる喜びとが共存する舞台となるよう望んでいました。1980年1月、ロルフ・ボルツィクは長い闘病生活の末、亡くなりました。35歳でした。
DAS FR遵礬LINGSOPFER (THE RITE OF SPRING)◎
by Pina Bausch
Music: Igor Strawinsky

1976

Die sieben Todsünden (THE SEVEN DEADLY SINS)ブレヒト七つの大罪
The Seven Deadly Sins Of The Petty Bourgeoisie and Don't Be Afraid
Dance-evening by Pina Bausch
Music: Kurt Weill, Text: Bertolt Brecht

1977

青髭」BLAUBART - BEIM ANH遵ムREN EINER TONBANDAUFNAHME VON BELA BARTOKS "HERZOG BLAUBARTS BURG" (BLUEBEARD - WHILE LISTENING TO A TAPED RECORDING OF BELA BARTOK'S "DUKE BLUEBEARD'S CASTLE)
A piece by Pina Bausch
Pina Bausch : Barbe Bleue「青髭

問いかけによって創り上げるという方法も、新しく採り入れたものでした。すでに『青髭』で、いくつかの役柄のためにダンサーに質問するというやり方を始めていました。その後、ボーフム劇場で初演したマクベスに基づく作品『彼は彼女の手を取り城に誘う—皆もあとに従う』では、この方法をさらに進化させました。4人のダンサー、4人の俳優、1人の女性歌手と1人の菓子職人が登場する作品です。この作品では、もはや決まりきった動きを用いるわけにいかず、どこか別の所から出発する必要がありました。(中略)
いわゆる「質問」、つまり、私が常に自分自身に対して問いかけていることを彼らに投げかけました。この制作方法は、土壇場から生まれてきたものです。これらの「質問」は、テーマに手探りで注意深く近づくための手段です。非常にオープンな作業であると同時に、非常に正確な方法でもあります。質問は、私が自分一人では全く考えもつかなかったような多くの事柄へ案内してくれるのです。

「私と踊って」2010年 KOMM TANZ MIT MIR (COME DANCE WITH ME)◎
A piece by Pina Bausch


RENATE WANDERT AUS (RENATE EMIGRATES)
Operetta by Pina Bausch

1978

ER NIMMT SIE AN DER HAND UND F遵礬RT SIE
IN DAS SCHLOSS, DIE ANDEREN FOLGEN... (HE TAKES HER BY THE HAND AND LEADS HER INTO THE CASTEL, THE OTHERS FOLLOW ...)
A piece by Pina Bausch,
In coproduction with Schauspielhaus Bochum

「カフェミュラー」CAFE MULER◎
A piece by Pina Bausch

「コンタクトホーフ」KONTAKTHOF◎
A piece by Pina Bausch

1979

「アリア」ARIEN (ARIAS)
A piece by Pina Bausch

「貞女伝説」KEUSCHHEITSLEGENDE (LEGEND OF CHASTITY)
A piece by Pina Bausch

1980

1980 - A PIECE BY PINA BAUSCH
A piece by Pina Bausch


そうしてできた作品が、『1980年—ピナ・バウシュの世界』です。リハーサルで私たちはいつものように、子どもの頃についてのたくさんの質疑忚答をしました。私はこの時、ペーター・パプストという舞台美術家(彼は劇場や映画製作の現場で多くの演出家とともに仕事をしていた人です)に、一緒に仕事をしないかと尋ねました。彼から、『1980年』の舞台美術を担当してもよい、という承諾を得られたのは大きな幸運でした。
ペーター・パプストと私は、すでに27年以上も、これまでにない作品を創るという冒険に意欲的に関わり合ってきました。それだけではありません。彼は大切な舞台美術家であるばかりか、アドバイスや実践を通して、私たちや舞踊団全体のために不可欠な存在になったのです。たくさんの舞台空間が生まれました。

1980年、チリのサンティアゴでの客演中に、私は人生のパートナーとなるロナルド・カイと知り合いました。彼は詩人で、チリ大学で美学と文学を教える教授です。1981年に私たちの息子ロルフ=サロモンが生まれて以来、ヴッパタールで一緒に暮らしています。私は、人がどのように死ぬのかを経験しなければなりませんでしたが、同時に、人がどのように生まれてくるのかを経験することもできました。そうした出来事によって、いかに世界の見方が変化するかということも体験しました。子どもがどのように物事を経験するか、子どもがいかに偏見にとらわれることなくすべてを観察するか、どれほど自然や人に信頼を寄せるかを見てきました。自分の身体で何がどのように起こっているのか、身体がどのように変わるのかという体験とは別に、一人の人間の誕生を丸ごと把握しました。自分が何もせぬまま、すべてが起こるのです。こうした体験が、どれほど私の作品と仕事に流れ込んでいるか計り知れません。

1981

バンドネオン」BANDONEON
A piece by Pina Bausch

1982

WALZER
A piece by Pina Bausch
In coproduction with „Holland-Festival“

カーネーション」NELKEN (CARNATIONS)
A piece by Pina Bausch
Chor醇Pgraphie: Nelken de Pina Bausch 醇A N醇ames「カーネーション

1984

AUF DEM GEBIRGE HAT MAN EIN GESCHREI GEH遵ムRT (ON THE MOUNTAIN A CRY WAS HEARD)
A piece by Pina Bausch

1985

TWO CIGARETTES IN THE DARK
A piece by Pina Bausch

1986

「ヴィクトール」VIKTOR◎
A piece by Pina Bausch
In coproduction with Teatro Argentina, Rome


1987

「アーネン」AHNEN
A piece by Pina Bausch

1989

パレルモパレルモ」PALERMO PALERMO◎
A piece by Pina Bausch
In coproduction with Teatro Biondo Palermo and Andres Neumann International


1990
「嘆きの皇太后」DIE KLAGE DER KAISERIN
Film by Pina Bausch

1991

TANZABEND II
A piece by Pina Bausch
In coproduction with Festival de Oto醇oo, Madrid

1993

DAS ST遵磴K MIT DEM SCHIFF (THE PIECE WITH THE SHIP)
A piece by Pina Bausch

1994

EIN TRAUERSPIEL
A piece by Pina Bausch
In coproduction with the Wiener Festwochen

1995

「ダンソン」DANZ遵マN◎
A piece by Pina Bausch

1996

NUR DU (ONLY YOU)
A piece by Pina Bausch
In coproduction with the University of California in Los Angeles, the Arizona State University, theUniversity of California in Berkeley, the University of Texas in Austin and Darlene Neel Presentations and Rena Shagan Associates, Inc. and The Music Center Inc.

1997

「フェンスタープッツァー」DER FENSTERPUTZER (THE WINDOW WASHER)◎
A piece by Pina Bausch
In coproduction with the Hong Kong Arts Festival Society and Goethe Institut Hong Kong

1998

MASURCA FOGO
A piece by Pina Bausch
In coproduction with the EXPO 98 Lissabon and the Goethe Institut Lissabon
Pina Bausch : Masurca Fogo (Extrait)

1999

O DIDO
A piece by Pina Bausch
In coporduction with the Teatro Argentina in Rom and Andres Neumann International

2000

「コンタクトホーフ」KONTAKTHOF◎
Mit Damen und Herren ab „65“
A piece by Pina Bausch
http://www.ubu.com/film/bausch_kontakthof.html
http://www.ubu.com/film/bausch_kontakthof.html
WIESENLAND
A piece by Pina Bausch
In coproduction with the Goethe Institut Budapest and the Th醇P醇Ctre de la Ville Paris

2001

「アグア」遵檬UA
A piece by Pina Bausch
In coproduction with Brazil, the Goethe Institute Sao Paolo, and Emilio Kalil

2002

「過去と現在と未来のこどもたち」F遵祿 DIE KINDER VON GESTERN, HEUTE UND MORGEN (FOR THE CHILDREN OF YESTERDAY, TODAY, AND TOMORROW)
Ein St醇・k von Pina Bausch

2003

「ネフェス」NEF遵ッS
A piece by Pina Bausch
In coproduction with the International Istanbul Theatre Festival and the Istanbul Foundation of Culture and Arts

2004

「天地」TEN CHI
A piece by Pina Bausch
In coproduction with Saitama Prefecture, Saitama Arts Foundation, Japan, and Nippon Cultural Center


2005

「ラフカット」ROUGH CUT
A piece by Pina Bausch
In coproduction with LG Arts Center and the Goethe-Institute Seoul, Korea

2006

「フルムーン」VOLLMOND (FULL MOON) ◎
A piece by Pina Bausch

2007

BAMBOO BLUES
A piece by Pina Bausch
In coproduction with the Goethe Institutes in India



2008

‘SWEET MAMBO’
A piece by Pina Bausch

「コンタクトホーフ」ティーンエイジャー編KONTAKTHOF
Mit Teenagern ab '14'
A piece by Pina Bausch

2009

"...COMO EL MUSGUITO EN LA PIEDRA, AY SI, SI, SI ..."
In coproduction with Festival Internacional de Teatro Santiago a Mil in Chile and with the support of Goethe-Institut Chile.
In cooperation with Andres Neumann International

「ダンス×アート 瀬戸内国際芸術祭2010『直島劇場』 モノクロームサーカス×graf」in東心斎橋

コーディネーター・中西理(演劇舞踊評論)
ゲスト・坂本公成(振付家・ダンサー)
 東心斎橋のBAR&ギャラリーを会場に作品・作家への独断も交えたレクチャー(解説)とミニシアター級の大画面のDVD映像で演劇とダンスを楽しんでもらおうというレクチャー&映像上映会セミネール。今回は京都に本拠を置きながら海外、日本各地での活動を続けるダンスカンパニー「Monochrome circus」の坂本公成氏をゲストに2010年の瀬戸内国際芸術祭で話題となった直島の本村をまるごと劇場化するサイトスペシフィックなダンス・パフォーマンス「直島劇場」*1の映像を本人の解説のもと本格的に紹介。さらに最近のgrafとの共同制作作品や2011年ダンスベストアクトに選んだ「ENSEMBLE」など最新の舞台成果を紹介します。坂本公成が自ら語る作品の「舞台裏」。どうぞ参加ください。

Monochrome Circus(モノクロームサーカス)
京都を拠点に活躍するコンテンポラリーダンス・カンパニー。
1990年に設立。主宰坂本公成
「身体をめぐる/との対話」をテーマに国内外で活動を続ける。
『掌編ダンス集』と銘打つ大小の作品群7作品をはじめ、海外振付家による2作品、
上演回数約300回となるアウトリーチ的プロジェクト『収穫祭シリーズ』や坂本と異なるジェネレーションと背景を持つ人々が舞台上で出会う『旅の道連れ』、
Dumb Typeの照明家藤本隆行とのLED照明を軸にしたコラボレーション『Refined Colors』や『LOST』など現在13のレパートリー作品を維持する。

コンタクト・インプロヴィゼーション―交感する身体 (Art Edge)

コンタクト・インプロヴィゼーション―交感する身体 (Art Edge)

  • 作者: シンシア・J.ノヴァック,Synthia J. Novack,立木 アキ子,菊池淳子
  • 出版社/メーカー: フィルムアート社
  • 発売日: 2000/05
  • メディア: 単行本
  • 購入: 8人 クリック: 103回
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下北沢通信日記風雑記帳から

 2001年3月25日 東山ダンスミニシアター、Bプログラム(1 時〜)を観劇。
 この日のメインの目的は横浜に出演していながら見逃したMonochrome Circusがどんな傾向の舞台を作っている集団なのかというのを見てみたいということであった。その意味ではこの日「収穫祭2001」という舞台を見てその目的は半分達成されたが、半分はまだ達成されなかった。というのはこの日舞台を見てそれから舞台の後、この集団を主宰する坂本公成に話を聞いてはっきりしたのだが、Monochrome Circusは全く方向性の異なる2つの活動を行っていることが分かったからである。そのうちの1つがこの日、上演された「収穫祭」という公演でこれは東京のダンスカンパニーの多くが志向しているような独立した作品(コンサートピース)というわけではなくて、「出前パフォーマンス」というコンセプトで、楽器の生演奏やそれに合わせて踊られるダンスの小品、今回は登場しなかったが、詩の朗読といったパフォーマンスを携えて、劇場以外のいろんなところに出掛けて行う公演であって、その中には重要は要素としてダンスも含まれるのだが、ダンスにしても演奏にしても作品と練り上げられた完成度の高い作品というよりはその場に居あわせた人々を巻き込みながら、対話的に展開される出し物という感じが強く、それは動きに関してはフリーインプロビゼーションのような即興ではないのだけど、シンプルで即興的に作られたという印象が強いものだからである。
 この日は完全にダンスを見にきた観客を前にした舞台であったため、やや硬い感じもしてどちらかというとやりにくそうな雰囲気もあったのだが、音楽にしても生のギターとピアニカ演奏を主体とするというきわめて簡素なものでこういうこと言いだすと年がばれるが、政治的な主張とかを別にすれば60年代フォークの活動形態と近いという感じがあるのだ(笑い)。この集団のやる音楽の曲想というのがけっして現代風のものでなくどこか懐かしい感じがするものであることもそういう連想を呼ぶ理由の1つとしてあるのだけれど。
 そのフォーク文化の発祥の地のひとつであった京都にいまこういう活動をやっている集団が存在しているのにはある意味、因縁めいたものを感じ、そこに私なんかは「京都の匂い」を感じ取るのだが、そういう年よりの繰り言はひとまず置いておこう(笑い)。
 こういう感じというのはとかくハイセンスのみを競いあう東京などではダサイと見られがちで下手をすると猫ニャーや大人計画が時折悪意とともに描くある種のボランティアグループのように揶揄の対象にされてしまいがちなのだが、Monochrome Circusがそうかというとダンスにしても音楽にしても素朴を前面に出しながらも、ダンスにしても現代ダンスの流れというものをその視野に捉えているし、音楽にしても日本風な懐かしさがありながらどこか民族音楽の換骨奪胎を感じさせるようなところもあってけっこう一筋なわではいかないのだ。このダさカッコイイ微妙な線を狙ってきているところもいかにも「京都的」でいやらしいのだ。

 さて最初に方向性の異なる2つの活動と言ったのはMonochrome Circusは「収穫祭」の活動だけをやっているわけではなくて、それとは並行してちゃんと劇場向けのコンサートピースとしての作品も作っているからで、そちらの方は「収穫祭」などとは全然違って、映像や照明効果などもふんだんに使って、コンタクト系の激しい動きをする舞台であるらしいのだが、この日はゲストのダンサーにより、そうした作品のさわりを少しだけ見せてはくれたのだが、それだけではちょっと全貌が分かった気にはなれなかった。

 実はMonochrome Circusは8年ぐらい前に京都の無門館(現・アトリエ劇研)で公演を見たことがあるのだが、その時にはダムタイプをしょぼくしたようなマルチメディアパフォーマンスをやっていた記憶が残っている。さすがに今回見てみるとまったく別の集団という印象で、ちょっとこの集団にはしばらく注目していきたいと思った。

「直島劇場」について坂本さんにお話をお聞きする前にまず2つのことについて前もって説明しておきたいと思います。まず1つ目はコンタクトインプロビゼーションです。これは接触即興とも呼ばれるダンスの技法で1960年代後半にアメリカで誕生しました。Monochrome Circusの活動を説明するためにはまずこのコンタクトインプロというのがどういうものかを知っていると理解が早いと思います。もちろん、コンタクトインプロというのは2人以上のパフォーマーが体重を預け合って、即興的な動きを繰り返していくというダンス技法で、この技法が「直島劇場」もそうですし、Monochrome Circus作品のなかで多用されている。それはそうなのですが、実はそれだけではありません。コンタクトインプロというのは特にアメリカではダンスの技法を超えて、コンタクトジャムといったセッションを通じて人々のコミュニケーションを促進していくツールとして、あるいはひとつの運動体として存在しているという意味で、ひとつの文化(カルチャー)でもあるのです。


CIMJ(「場所とコンタクト」)

スティーブ・パクストン

小沢剛


中ハシ克シゲ
http://ontheday.blogspot.com/
トリのマーク
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20040722

変容し続けるパフォーマンスに注目/「Refined Colors」Dance Performance
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/00000210
Monochrome Circus+藤本隆行「Refined Colors」
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/10010930
Monochrome circus「The Passing 01-03」
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/00000205
ディディエ・テロン+Monochrome Circus
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20060525
Monochrome Circus(モノクロームサーカス)「旅の道連れ」@滋賀会館
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20080224
Monochrome Circus×じゅんじゅん「D_E_S_K」@京都アトリエ劇研
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20090710
坂本公成+森裕子インタビュー
http://www.log-osaka.jp/people/vol.74/ppl_vol74.html
坂本公成インタビュー 
http://www.log-osaka.jp/article/index.html?aid=219
TALK TROPE 4.24.sun @graf 04/24/11
http://www.ustream.tv/recorded/14244676
ENSEMBLE_PV.mov

大収穫祭in仙台

Contact Improvisation







サイトスペシフィックアート



 
【日時】2012年2月14日(火)7時半〜 【場所】〔FINNEGANS WAKE〕1+1 にて 【料金】¥1500[1ドリンク付]
※[予約優先]  定員20人ほどのスペースなので、出来るだけ予約をお願い致します。当日飛び込みも満席でなければ可能ですが、+300円となります。なお、満席の場合お断りすることもあります。
【予約・お問い合わせ】
●メール fw1212+yoyaku.120214@gmail.com あるいはBXL02200@nifty.ne.jp(中西)まで お名前 人数 お客様のE-MAIL お客様のTEL お客様の住所をご記入のうえ、 上記アドレスまでお申し込み下さい。ツイッター(@simokitazawa)での予約も受け付けます。
●(電話での予約・問い合わせ) 06-6251-9988 PM8:00〜 〔FINNEGANS WAKE]1+1 まで。 ▼web:fw1plus1.info  Bridge Gallery & Bar 〔FINNEGANS WAKE〕1+1 大阪市中央区東心斎橋1-6-31 リードプラザ心斎橋5F (東心斎橋、清水通り。南警察署2軒西へ)

「ダンス×演劇×アート ジャンルの境界線を越えて 矢内原美邦=ミクニヤナイハラプロジェクト」in東心斎橋

コーディネーター・中西理(演劇舞踊評論)

 東心斎橋のBAR&ギャラリーを会場に作品・作家への独断も交えたレクチャー(解説)とミニシアター級の大画面のDVD映像で演劇とダンスを楽しんでもらおうというレクチャー&映像上映会セミネール。今月はコンテンポラリーダンス現代アートの世界ではすでに一定以上の評価を得ているのに加えて、つい先日、演劇上演のプロジェクト「ミクニヤナイハラプロジェクト」で上演された「前向き!タイモン」が岸田戯曲賞を受賞、演劇の世界でも評価されるなどますますその活躍ぶりが期待される矢内原美邦ニブロール)を取り上げたいと思います。
「前向き!タイモン」

「幸福オン・ザ道路」

 
【日時】2012年3月20日(火)7時半〜 【場所】〔FINNEGANS WAKE〕1+1 にて 【料金】¥1500[1ドリンク付]
※[予約優先]  定員20人ほどのスペースなので、出来るだけ予約をお願い致します。当日飛び込みも満席でなければ可能ですが、+300円となります。なお、満席の場合お断りすることもあります。
【予約・お問い合わせ】
●メール fw1212+yoyaku.120320@gmail.com あるいはBXL02200@nifty.ne.jp(中西)まで お名前 人数 お客様のE-MAIL お客様のTEL お客様の住所をご記入のうえ、 上記アドレスまでお申し込み下さい。ツイッター(@simokitazawa)での予約も受け付けます。
●(電話での予約・問い合わせ) 06-6251-9988 PM8:00〜 〔FINNEGANS WAKE]1+1 まで。 ▼web:fw1plus1.info  Bridge Gallery & Bar 〔FINNEGANS WAKE〕1+1 大阪市中央区東心斎橋1-6-31 リードプラザ心斎橋5F (東心斎橋、清水通り。南警察署2軒西へ)
過去に書いたレビューなどのうちに第一回に取り上げる予定のニブロールと関係した文章を集めてみました。レクチャーに参加予定の人、あるいは興味を持った人は読んでみてください。
セミネールWEB講義・ニブロール
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/00000225

ニブロール「dry flower」 http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20040228
ニブロール「no direction,everday」 http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20061029

ニブロール「ロミオORジュリエット」 http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20080119 
MIKUNI YANAIHARA PROJECT「3年2組」@愛知県立芸術文化センター http://www.pan-kyoto.com/data/review/58-04.html
MIKUNIYANAIHARA PROJECTvol.2「青ノ鳥」@STスポット http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20060702
MIKUNI YANAIHARA PROJECT「青ノ鳥」wonderlandレビュー http://www.wonderlands.jp/index.php?itemid=736&catid=3&subcatid=4


 

シアターアーツ「関西からの発言」

シアターアーツ「関西からの発言」
 日本の現代演劇において1990年代半ば以降は平田オリザら現代口語の群像会話劇中心の流れが主流を占めてきた。それが大きく転換したのは2000年代(ゼロ年代)後半、群像会話劇の形式からはみ出した若手劇作家・演出家の相次ぐ登場によってだった。ここではひとまずそれを「ポストゼロ年代演劇」と呼ぶことにするがその特徴のひとつは物語以外の要素が強く、演劇とダンスのボーダー領域の作品が目立つことだ。
 チェルフィッチュ岡田利規)、ニブロール矢内原美邦)を先駆者とした「ダンスのような演劇」「演劇のようなダンス」については前回担当したこのコラムでも紹介した。その重要度は2010年以降の2年間でままごと(柴幸男)、東京デスロック(多田淳之介)、快快(篠田千明)、柿喰う客(中屋敷法仁)、悪い芝居(山崎彬)に加え、バナナ学園純情乙女組(二階堂瞳子)、ロロ(三浦直之)らより若い世代の台頭でますます顕著となっている。今年初めの岸田國士戯曲賞ニブロール矢内原美邦、マームとジプシーの藤田貴大が同時受賞したのもこうした動きを反映したものといえそうだ。これは東京で先行したが、3・11以降も一層拡大する兆しをみせており、東西の劇団・演劇人の交流などを通じて関西、特に京都にも広がりを見せている。
 京都でそのけん引役を果たしているのが振付家・ダンサーのきたまり(KIKIKIKIKIKI)であろう。振付家としてすでに横浜ダンスコレクションR2010未来へはばたく横浜賞受賞や2度のTOYOTA CHOREOGRAPHY AWARD最終ノミネートで同世代のなかでは群を抜いた実績を残しているが、最近はダンサーや振付家としての活動を超えた領域でも存在感を示している。パフォーマーとしても横浜のTPAMで上演された木ノ下歌舞伎「三番叟/娘道成寺」で自ら振付も担当したソロダンス「娘道成寺」を踊ったほかPLAYPARKでは横浜での受賞作品「女学生」を踊るなど首都圏にも活動範囲を広げている。4月には東京の若手劇団、柿食う客に客演し「絶頂マクベス」で魔女役も演じるなど演劇、ダンスのジャンルを越えたトリックスター的才能を示している。自ら率いるKIKIKIKIKIKIの公演では言語テキストの導入も含め、演劇/ダンスのボーダレス化に挑戦したとした「生まれてはみたものの」を前回紹介したが、その後上演した「ぼく」「ちっさいのん、おっきいのん、ふっといのん」(いずれも2011年)も演劇的な要素を強く感じさせる作品だった。
 だが、きたまりの今年の最大の功績は企画担当者としてダンスに携わるアーティストによるフォーラム「We dance京都2012」(2月3〜4日、元・立誠小学校など)を開催したことだ。「We dance」は、アーティスト、振付家らが主体になった企画で、ダンスパフォーマンス、トークセッションなどで構成されている。これまで3度横浜で開催されたが、今回は初めて京都での開催となった。きたまりは東京デスロックの多田淳之介、京都を拠点とする相模友士郎、筒井潤(dracom)と「ポストゼロ年代演劇」の演出家3人を招き、ダンサーとの共同作業による作品制作を委嘱した。相模とは京都造形芸術大学で一緒、多田とは神戸アートビレッジセンターのプロデュース公演で多田の演出作品に出演、振付も担当した。筒井はKIKIKIKIKIKI「ぼく」への出演経験がある。彼女はいまやダンス・演劇の領域を越えて、ネットワークを持つ関西におけるキーパーソンとなりつつあり、「We dance京都2012」もそうした人脈があって初めて実現できた企画だった。
 企画中で白眉の出来ばえだったのが多田演出の「RE/PLAY」である。「RE/PLAY」は多田の率いる東京デスロックが昨年日本各地をツアーして回った「再/生」という作品の系列に入る。音楽に合わせて一定の動きのシークエンスを繰り返し、その激しい苛酷な動きを何度も繰り返すのが「再/生」。それでしだいに疲弊していく身体に表象される人間の「生」と「死」を問いなおしていく。ダンス・演劇の境界領域にあるというだけでなく、作品が物語でなく音楽的な構造により構成されている、特定のシークエンスが何度もリピートする――など、この世代の演劇に顕著ないくつかの特徴を先取りした作品で、「わが星」(柴幸男)などと並んでポストゼロ年代演劇の代表的な作品と考えてもいいかもしれない。
 「再生」という表題で2006年に初演され、その時は「ネットで誘いあって集まって集団自殺をはかる若者たちの姿を描く」という具体的な設定があった。その中で登場人物たちが踊りまくりながら喧騒のさなかに毒を飲んで全員がばたばたと倒れていく。だが面白さはこうした物語以外にあった。生身の人間が同じ動作を3回繰り返すのだが「繰り返す」といってもそれは不可能。その間にも身体は疲弊し当初の想定通りに動けなくなっていく。それを1時間30分見せることで、命はその時、その場所にしかないこと、人生に同じ瞬間は絶対にないことを観客に示した。2011年の再演版「再/生」では俳優の動きにはもはや具体的な意味はない。だが、そこで提示されるのは動きそのもの(=ダンス)ではなく、反復による身体的な負荷で動けなくなる人間である。最近の上演ではそれにもめげずに動こうとするその姿から3・11以降の「死」と「再生」を重ね合わされるような舞台とみなされている。
 「RE/PLAY」は基本的には「再/生」のコンセプトを受けついだ。動き自体はダンスと言ってかまわない。だが、構造は多田が用意した演劇的な仕掛け(繰り返すことで疲弊していく身体)に支配されているため、(あえて言うなら)演劇作品であるはずのものであった。今回は3回繰り返すのではなくて、「RE/PLAY」の表題通りにレコードプレイヤーの針を戻して同じ曲を何度も何度も繰り返すような構造。オープニングとしてサザンオールスターズの「TSUNAMI」が2度ほど繰り返した後、ビートルズ「オブラディ・オブラザ」がなんと10回連続でかかる。この後、「ラストダンスを私に」になど「再生」以来おなじみの曲と相対性原理、そして最後の方でPerfumeの曲が繰り返しかかったころにはほとんどの出演者は疲れ切った状態で、多田(釈迦)の手の平に乗る孫悟空のような有様だった。
 ところが「演劇作品であるはず」と書いたのはこれまで見た多田の作品では必ず起こっていた疲弊のようなことを超越して、踊り続ける1人のダンサー(松本芽紅見)がいたからだ。松本も疲れていないというわけではないのだろうが、ほかの人が次々と限界を迎えていくなかで、疲れれば疲れるほど一層気合が入ってきて、動きの無駄が削げ落ちきて、神々しいまでの存在感を見せ始めた。一瞬赤い靴を履いたバレリーナのことさえ想起させる姿は「ダンスそのもの」だ。ある意味作品のコンセプトを吹き飛ばし逆説的にそこに演劇(=意味性)を超えた「ダンスというもの」を浮かび上がらせた。ダンスには黒田育世の作品のように身体にかかる負荷により疲弊していきながらも、それでも踊り続けるという二面性を見せる作品があり、それは最近増えているのだが、今回の「RE/PLAY」にはそうしたダンスと通底するような問題意識を感じさせた。
 一方、演出家・相模友士郎とダンサー・野田まどかによる「先制のイメージ」もいわゆる振り移しではない振付の生成をそのノウハウと一緒に見せてしまう一種のメタダンスであった。こういうものはダンスの内部からの思考ではちょっと出てきにくい種類のもので、こういうものを生み出しただけでも演劇の演出家を招へいしたきたまりの企画は成功だったといえるだろう。
 最初に舞台下手に相模が登場してコカコーラの歴史についての薀蓄を語り始める。その後、野田が舞台に登場して、なにやら少し小さな身振りのようなことをはじめる。それはマイムのようなはっきりしたものではないのだが、どう見てもなにか身振りのようなもの見える。ただなんなのかははっきりとは分からない。これを一度見せてから相模は「これはある日の家で起きてから、稽古場に来るまでの様子を思い出して、再現してもらっています」と説明し、野田にそれぞれなにをしているところかを説明しながらもう一度同じ動きを繰り返すように言う。そうするとよく分からなかった動きの連鎖が途端に意味がある動きの連鎖として見えてくる。今度はセリフなしでもう一度動きだけを繰り返させる。不思議なのは一度意味と張り付いた動きはその言葉を失っても、意味を失わない。これはマイムがなぜ成り立つのかという原理である。
 次に野田に対し、相模は外から自分が人形遣いで先ほどの自分の動きを外側から操るように動くように指示する。実際に動いている野田の動き以外にそれが操っている仮想の人形のようなものが見える。次にその動きを基本的に守ったままで、動きを自律させるように指示する。ここのところが少し分かりにくいが、簡単に言えば動きをぎくしゃくしたものではなく少し自然な流れにまかせるようなものにする。それでも前のイメージは少し残っているのだが、ここに音楽を重ねていくと印象は一変する。直接的な意味性が薄れていって、「ダンスのようなもの」に俄然見えてくるのだ。
 そして、その後、今度は最初に読んでいたコカコーラについての文章を朗読して動きに重ねていく。そうするとまた意味性が生まれてくるが今度は動きと言葉が1対1で対応しているわけではないので、もはやそこに言葉が重なっても「演劇のようなもの」に見えはしない。しかしコカコーラについての語りと野田の動きはどこかで共鳴しあっていて、それをダンスと呼ぶべきかどうかは微妙だが、もはやそれはそれまでのプロセスで出てきたどの段階とも違う新たな表現となった。演劇(マイム)⇔ダンスの関係を動きと意味性との距離感を自在に伸縮させることで多面的に提示した作品で「ダンスとはなにか、演劇とはなにか」を考えさせる意味で興味深いものであった。
 最後の筒井の作品は姉妹という設定を基に映画や演劇など複数のテキストから場面を抽出してコラージュしたような作品。いわゆるダンスというよりはダンサーを起用した無言劇といった趣きだった。関西のダンスには東京と異なり、オリジナルの動きそのものを追求した独自の流れがあったが、ここ数年新たな作り手の台頭も少なく、そうした危機感がきたまりを今回の企画に駆りたてたともいえ、その意味では参加者の大きな刺激になったのではないかと思われた。
 藤田貴大(マームとジプシー)も多田ら「ポストゼロ年代演劇」における先人の影響の下で、自らの方法論を磨いてきた。その藤田が同じ元・立誠小学校の校舎のそこかしこを贅沢に使って新作を上演したのは興味深い。「LEM-on/RE:mum-ON!!」はサイトスぺシフィックな作品だ。廃校になった学校に漂う独特の空気感は藤田の劇世界と共鳴しあって観客自身の記憶のツボを刺激した。梶井基次郎の「檸檬」を舞台化すると聞いていたのだが、そうではなく「檸檬」はもちろん「Kの昇天」「冬の蠅」「桜の樹の下には」など梶井の複数の短編に登場するイメージをコラージュのように引用しながら、時を隔てた同年代(少し上だが)の梶井に向けての藤田の返歌としてこの作品を制作された。
 岸田戯曲賞を受賞した「塩ふる世界。」をはじめ藤田の劇世界では大切な人の死ないしその変奏としての別離がモチーフとして頻出する。原作ものとしてはこの作品の前にカミュ「異邦人」を手掛けたが、その小説も母の死という藤田が好んで取り上げた主題を共有しており、それからいうと梶井基次郎は自らの病弱を反映してか、死を象徴するモチーフが頻出する作家であるということからして、藤田と精神的な双生児のようなところがある。
 この作品では何度も同じセリフや主題が繰り返されるが、そこに通底しているのはやはり「死」のイメージであって、「塩ふる世界。」や「Kと真夜中のほとりで」と比較すると身体的な強度は低いが、それでも繰り返すことによる「肉体の酷使」という手法はここでも使われていて、そこには「RE/PLAY」と共通するような問題意識が表れていることは強く感じた。
 演劇のようなダンスというわけではないが「We dance京都2012」とほぼ同時期に上演された若手ダンスカンパニーMuDA「男祭り」@京都アトリエ劇研も注目すべき公演だった。MuDAはヒップホップダンサーでe-Danceに参加していたQUICK、モノクロームサーカスの合田有紀らによるダンスユニットである。劇場での本格的な公演はこれが初めてでこちらは白い褌姿の裸体の男たちが激しく輪舞した。頭を上下に激しく振ってみたり、倒れたかと思うとすぐに立ち上がったり、その様は参加者がトランス状態になっている謎の宗教の儀式にも見えきわめて不可解なものであった。これまでに見たことがないもので、ゼロ年代を彩った身体表現サークル、コンタクトゴンゾ(contact Gonzo)に続きついにポストゼロ年代を代表するダンスが登場したと興奮した。というのは「男祭り」には「肉体の酷使による生の賞揚」という意味で先述した「再/生」と通底するような問題意識を感じたからだ。ポストゼロ年代と先に書いたのはそういう意味合いで、2000年代後半から2010年以降にかけての東京の若手劇団の舞台において、この「肉体の酷使による生の賞揚」という手法が目立つようになっている。東京デスロックがその典型ではあるが、同様の手法はマームとジプシーやままごとなどでも垣間見られる。
 さらに言えば岸田戯曲賞を受賞した矢内原美邦の作品でも「肉体の酷使」という手法は出てきているし、黒田育世のダンスなどは「酷使」そのものといってもいい。MuDA「男祭り」には明らかに最近のパフォーミングアーツにおけるそうした大きな流れと問題意識を共有する。
 SPACの宮城聰はク・ナウカ時代のインタビューで舞台における祝祭的な空間の復活を論じて、生命のエッジを感じさせるような宗教的な場が失われてしまった現代社会において、それを示現できる数少ない場所が舞台でだからこそ現代において舞台芸術を行う意味があるのだと強調した。3・11を契機に生と死という根源的な問題と向かい合った作者が「肉体の酷使による生の賞揚」という手法で、祝祭空間を見せる。90年代に平田は「演劇に祝祭はいらない」と主張したが、「祝祭性への回帰」という性向が「ポストゼロ年代演劇・ダンス」にはあるのかもしれない。

 SPACの宮城聰はク・ナウカ時代のインタビューで、舞台における祝祭的な空間の復活を論じて、生命のエッジを感じさせるような宗教的な場が失われてしまった現代社会において、それを示現できる数少ない場所が舞台で、だからこそ現代において舞台芸術を行う意味があるのだと強調した。九〇年代に平田が「演劇に祝祭はいらない」と主張しそれが現代演劇の主流となっていくにしたがい、宮城の主張はリアリティーを失ったかに見えたが、「祝祭性への回帰」という性向が「ポストゼロ年代演劇・ダンス」には確かにある。そして3・11を契機に生と死という根源的な問題と向かい合った作り手たちが「肉体の酷使による生の賞揚」という手法で、祝祭空間を見せる今こそ宮城の夢想した「祝祭としての演劇」が再び輝きはじめる時なのかもしれない。
 


 

セミネール特別編Web版「ももいろクローバーZ(ももクロ)とポストゼロ年代演劇」in東心斎橋

コーディネーター・中西理(演劇舞踊評論)

 東心斎橋のBAR&ギャラリーを会場に作品・作家への独断も交えたレクチャー(解説)とミニシアター級の大画面のDVD映像で演劇とダンスを楽しんでもらおうというレクチャー&映像上映会セミネール。これまでは個別の作家について取り上げて紹介してきましたが今回は特別編として少し趣向を変えて、AKB48の次に来るアイドルとして西武ドーム公演も決定するなど今注目のももいろクローバーZポストゼロ年代演劇の関係についてさまざまな角度から分析をしていくことで、ポストゼロ年代演劇の持つ特質について考えていきたいと思います。
【日時】2012年5月25日(金)7時半〜 【場所】大阪・東心斎橋〔FINNEGANS WAKE〕1+1 にて開催


 今回はなんと今もっとも旬といってもいいアイドル「ももいろクローバーZ」 とポストゼロ年代演劇・ダンスの関係を考えていきたいと思います。といっても、いきなり羊頭狗肉といわれかねないのですが、この両者に直接的な影響関係はおそらくほぼありません。そんなこと言い始めたらそれこそ話が終わってしまいかねないわけですが、最近興味深いと思っているのは実は直接の影響関係はないはずなのにももクロとポストゼロ年代演劇にはいくつかの共通項が散見されて、いわば補助線としてももいろクローバーZを持ち込むことで、これまでも取り上げてきた若手作家たちの作品に新たな光を当てることができないかと考えたからです。
ももいろクローバー

 日本の現代演劇において1990年代半ば以降は平田オリザら現代口語の群像会話劇中心の流れが主流を占めてきました。それが大きく転換したのは2000年代(ゼロ年代)後半に、群像会話劇の形式からはみ出した若手劇作家・演出家の相次ぐ登場にしたことによってでした。ここではひとまずそれを「ポストゼロ年代演劇」と呼ぶことにしたいのですが、その重要度は2010年以降の2年間でままごと(柴幸男)、東京デスロック(多田淳之介)、快快(篠田千明)、柿喰う客(中屋敷法仁)、悪い芝居(山崎彬)に加え、バナナ学園純情乙女組(現革命アイドル暴動ちゃん、二階堂瞳子)、ロロ(三浦直之)らより若い世代の台頭でますます顕著となっています。今年初めの岸田國士戯曲賞ニブロール矢内原美邦、マームとジプシーの藤田貴大が同時受賞したのもこうした動きを反映したものといえそうです。これは3・11以降も一層拡大する兆しをみせています。
 それではポストゼロ年代演劇はどのような特徴を持っているのでしょうか。もちらん、いずれも同じような作風というわけではなく、そのスタイルは千変万化であるため、ここで列挙する特徴がすべてのこの世代の演劇にあてはまるというわけではありませんが、大雑把ににではありますが、この世代の演劇に当てはまることが多い特徴は次の3つが挙げられると考えます。

ポストゼロ年代演劇の特徴

1)その劇団に固有の決まった演技・演出様式がなく作品ごとに変わる
2)作品に物語のほかにメタレベルで提供される遊戯的なルール(のようなもの)が課され、その遂行と作品の進行が同時進行する
3)感動させることを厭わない(あるいは「祝祭の演劇」の復権

 さて、きょうは「ももいろクローバーZとポストゼロ年代演劇」を主題としていくわけなんですが、いきなり結論を言ってしまうことになりそうで、若干の躊躇もあるのですが、この3つの特徴をももいろクローバーZというアイドルのあり方、さらにそれを生み出したプロジェクトの戦略が共有しているのではないかというのがひとつの仮説で、そのことをきょう皆さんと一緒に考えていきたいと思うのです。
 特徴1)その劇団に固有の決まった演技・演出様式がなく作品ごとに変わる
 というのは実はこの世代の演劇にはその人の作品にはその人に特有な独自のスタイルがない、ということでした。すべての作家がそうだというわけではないのですが、この世代の作家の作品を継続的に見続けて困惑したのはどうやら彼らのうちの何人かは作品ごと、あるいは作品の主題ごとに異なった芝居のスタイルを取ることが多く、それ以前の世代の作家がそうであったようには固有のスタイルがないのではないかと考えたことです。実はこれについては東浩紀が「動物化するポストモダン」で指摘しているポストゼロ年代のカルチャーの特徴における「データベース消費」、それに基づく「漫画・アニメ的リアリズム」ではないかと考えています。

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

 ももいろクローバーZの特徴はアイドルでありながら、純粋にアイドル的な要素以外のオタク的要素が入っていることです。それを言い換えればニコニコ動画こそデータベース消費の典型であるため、それをニコ動的ということもできるのですが、ももクロはアイドルの中でもニコ動との相性がいいといえるでしょう。それは初期からライブで歌っている曲のなかにアニメの楽曲を入れていることにもうかがえます。
 これはももクロの「最強パレパレード」ですが、これは「涼宮ハルヒの憂鬱 SOS団ラジオ部OP」のカバー曲で、ここではドイツ、ドルトムントで開催された日本文化紹介イベントでのライブですが、ここではなんと初音ミクと共演しています。
ももいろクローバーZ 最強パレパレード

 ポストゼロ年代演劇のなかでもっともニコ動的な要素が強く、ももクロとのシンクロ率が高いのがバナナ学園純情乙女組*1です。こちらもハルヒからなんですが、同じ曲を探したのですが見つからなかったのでこちらは「ハレ晴れユカイ」の路上ライブをまず見ていただきたいと思います。
バナナ学園純情乙女組 ハレ晴れユカイ

 これはyou tubeでの映像ですが、ニコ動でいう「踊ってみた」といえるでしょうね。

 ももいろクローバーZも従来の基準からいえば「アイドルなのかどうかがあやしいアイドル」なわけですが、このバナナ学園純情乙女組も演劇だという風に簡単にいいきるにははばかられるようなところがあり、演劇の要素はかなり強くはあるのです。アイドル歌謡から発生したオタ芸的なもの、アニメのコスプレなどさまざまな要素をごった煮的に盛り込んで、ジャンルボーダレスなカオスとして展開する。2011年ベストアクトでは以下のようにコメントしました。

ポストゼロ年代の新たな世代では京都で初めてそのライブを目の当たりにしたバナナ学園純情乙女組「バナ学バトル★★熱血スポ根秋の大運動会!!!!」も同時多発的でカオス的に展開されていくオタ芸風パフォーマンスは「いま・ここで」ならではの魅力を感じさせ、マームとジプシーとは対極的ながらも決して引けをとらない衝撃力があった。身体表現と映像を駆使して「オタク的」なイメージが奔流のように飛び込んでくるスタイルのインパクトは大きく、近い将来クールジャパンのキラーコンテンツとして海外を含めブレークするだろうとの確信を抱いた。これを1位に置いても構わないのだけれど、「果たして演劇として評価すべきものなのか」、むしろジャンルで言ったらももいろクローバーZとかのが近いんじゃないかという若干の躊躇とそれでもはずすのにしのびないとのジレンマから苦渋の選択でとりあえずこの順位に置いた。逆に言えば演劇ベストアクトとかではなく、現代アートとしての可能性ならこれがダントツ上位かもしれない。

 実はこのバナナ学園純情乙女組は公演中に引き起こされた事件をきっかけに解散を決めてしまったのですが、実はももクロもファンとメンバーの間のパフォーマンス中の接触があり、今夏のツアーで大きな問題となったということがあり、予想外の部分でも両者がシンクロしてしまったことに驚かされたりしました。 
2)作品に物語のほかにメタレベルで提供される遊戯的なルール(のようなもの)が課され、その遂行と作品の進行が同時進行する
 2)は同じく東氏が提唱する意味とは若干違うのですが、いわゆる従来のような物語よりもそうしたインタラクティブともいえるゲーム的要素が作品に入り込んでいることから、ゲーム的なリアリズムと関係していると考えています。ここで若干の補足が必要だと思うのですが、実はポストゼロ年代演劇というのは特徴という意味でいうと小説、漫画、アニメなど他分野のゼロ年代と共通の特徴が見られると考えています。こうした複数分野での文化の特徴というのは80年代前後に建築、哲学、美術など複数の分野で「ポストモダン」と当時呼ばれた文化現象が生まれてきましたが、実はその間にはやはり若干のタイムラグがあった。今回演劇だけそこでなぜ10年というタイムラグが生じたことの原因がなにだったかということに関してはさらに詳細な分析が必要でしょうが、そこには平田の提唱した現代口語演劇の影響力というのが、チェルフィッチュなど若干の例外はあったとしても、五反田団の前田司郎、ポツドール三浦大輔をはじめ、群像会話劇というスタイルのくびきがきわめて大きかったということを指摘しておかないといけないかもしれません。
 ももいろクローバーZはいろんな意味でユニークなところがあるのですが、そのひとつであり、アイドルらしくないと言われたりするする要素として、その戦略(といえるかどうかは微妙なところがあると思っているのですが)がアイドルのこれまでのやり方とは違う論理で構築されていることです。それは実はいくつもいあるのですが、目立つもののひとつが「プロレス」「格闘技」です。ももいろクローバーZはメンバーである本人たち以外にファンの人(モノノフと呼ばれている)運営の人たちがいるわけです。そして、運営と呼ばれるスタッフは戦略的にいろんな企画を仕掛けてきたのですが、その大きな軸となっているのがプロレスないし格闘技なのです。もっとも、80年代以降の歴史を振り返ってみても、小劇場演劇(現代演劇)とプロレスとの関係は深く、関西を代表する老舗劇団である南河内万歳一座は座長の内藤敬裕がプロレスの大ファンであり旗揚げメンバーの何人かが学生プロレスのメンバーでもあったことから、舞台にプロレス的な格闘を取り入れたような演出を多用していたし、同じく関西の老舗劇団だったそとばこまちもシェイクスピア劇にタイガーマスクを登場させて格闘場面をプロレス仕立てでやっていたことなどもありました。
 ただ、ポストゼロ年代演劇とプロレスないし格闘技とかかわりはそういうものとは少し異なったところがあるようです。ここで取り上げたいのは多田淳之介と東京デスロックです。多田は「演劇LOVE」というキャッチフレーズを口にしているのですが、これはももクロとの関係の深い武藤敬司の「プロレスLOVE」を下敷きにしたものであり、これも偶然の一致とはいえ、若干のかかわりもあるといえかもしれません。ただ、実は多田淳之介の演劇とももいろクローバーとの間にはもう少し本質的な共通点があるのです。

 それは前述の3)の特徴とも関係があります。問題は3)です。実はこれまでこれを「感動させることを厭わない」としてきたのですが、これが一番論議を生むことなりました。そこで今回はこれを『「祝祭の演劇」の復権』としておくことにしました。これは平田オリザが90年代にその著書で「都市に祝祭はいらない」という著書を出し、演劇における祝祭性を否定したということが前段にあります。SPACの宮城聰はほぼ同時期にク・ナウカ時代のインタビューで、舞台における祝祭的な空間の復活を論じて、生命のエッジを感じさせるような宗教的な場が失われてしまった現代社会において、それを示現できる数少ない場所が演劇で、だからこそ現代において舞台芸術を行う意味があるのだと強調した。90年代に平田が現代演劇の主流となっていくにしたがい、宮城の主張はリアリティーを失ったかに見えたが、「祝祭性への回帰」という性向が「ポストゼロ年代演劇・ダンス」には確かにあり、3・11を契機に生と死という根源的な問題と向かい合った作り手たたちが、祝祭空間を見せる今こそ宮城の夢想した「祝祭としての演劇」が再び輝きはじめる時なのかもしれません。

平田オリザの仕事〈2〉都市に祝祭はいらない

平田オリザの仕事〈2〉都市に祝祭はいらない

 演劇と異なり、「魅惑するもの」であることをその本質とするアイドルが「祝祭性」を持つのは当たり前のことともいえなくもありませんが、先に挙げた宮城聰の言う「生命のエッジ」のような生きている全力感を前面にうちだし、彼女らがモノノフと呼ぶ観客との相互反応による盛り上がり感はももいろクローバーZの最大の特徴です。それではここでももいろクローバーZのライブ映像を見てもらいたいと思います。
  

 ネット上などでときおりももクロのパフォーマンスつまりダンスなり、歌なりが上手いのか下手なのかが、取沙汰されることがあるのですが、彼女たちのパフォーマンスは「うまい」という方向性を目指さないところにその本質があります。つまり、例えばダンスでいえばバレエなどがその典型なのですが、「うまい」ダンスというのは通常は動きが技術によって完璧に制御されているというところにその本質があります。つまり、うまく制御できなくなった状態のことを「下手」だとするひとつの価値観があるわけですが、これはバレエのみならずジャズにせよヒップホップにせよ西洋起源のダンスでは通常このことが成り立ち、そして歌の場合も同様のことがいえるわけです。
 ところがコンテンポラリーダンスなどに代表される現代表現ではこうした「上手」「下手」はかならずしも自明のこととはいえなくて、その代わりに問われるのはその瞬間の動きが魅力的かどうかということで、そのために身体的な負荷を意図的にかけ続けることで、アンコントロールな状態に追い込み、そこで出てくる「いま・ここで・生きている」というような切実さを身体のありかたにおいて表出させるような表現がでてきており、そこではいわゆる従来のような「上手」「下手」という基準はあまり意味がないことになっています。
 多田淳之介の東京デスロックという劇団はそうした「切実さ」を身体表現として追求している劇団でこれから見せる「再生」という作品は劇中で登場人物が激しく踊りまわるという同じ芝居を3回繰り返すという作品なのですが、3回繰り返すといっても人間の能力には限界があるので3回同じように繰り返すのは無理で、そこから「どうしようもなく疲弊してしまう存在」であり、いつか年をとり、死んでいく人間という存在を逆説的に浮かび上がらせるという狙いがありました。
東京デスロック「再生」

実は身体的な負荷をかけ続けることで立ち現れる「切実さ」こそがももクロの「全力パフォーマンス」の魅力だと考えています。よく「全力パフォーマンス」というけれどもアイドルはももクロだけじゃなくて、どのアイドルも全力だという批判があるわけですが、ほかのアイドルとももクロは「全力」についての質が違う。これは違うからももクロが偉くて、ほかはだめと言おうとしているわけではもちろんありません。
 これから紹介するのはファンの間で「伝説」と言われている「Zepp Tokyo 第3部」の映像です。
Zepp Tokyo 第3部


バナナ学園純情乙女組


革命アイドル暴動ちゃん


SVアーカイブ
再録「特集☆ももいろクローバー
http://studiovoice.jp/?p=25607 
室井尚・横浜国大教授のブログ
http://tanshin.cocolog-nifty.com/tanshin/2012/04/post-c217.html
Lマガジン特集 非オタのための、ももクロ入門。 
http://lmaga.jp/article.php?id=928

*1:バナナ学園純情乙女組 その後、活動休止をへて革命アイドル暴走ちゃんとして活動再開 http://www.missrevodolbbbbbbbberserker.asia/index.html

「演劇の新潮流2 ポストゼロ年代へ向けて 第5回 柿喰う客=中屋敷法仁」

主宰・中西理(演劇舞踊評論)=演目選定

 東心斎橋のBAR&ギャラリーを会場に作品・作家への独断も交えたレクチャー(解説)とミニシアター級の大画面のDVD映像で演劇を楽しんでもらおうという企画がセミネール「演劇の新潮流」です。今年は好評だった「ゼロ年代からテン年代へ」を引き継ぎ「ポストゼロ年代へ向けて」と題して現代の注目劇団・劇作家をレクチャーし舞台映像上映も楽しんでいただきたいと思います。
 今回取り上げるのは柿喰う客中屋敷法仁です。中屋敷は青森県出身。高校時代から演劇部で活躍、高校3年生の時に書いた『贋作マクベス』が、翌年の2003年に全国大会まで進んで、その時の審査員だった平田オリザから最優秀創作脚本賞をもらうなど早熟な才能を示し、2006年に「柿喰う客」を旗揚げして以降はまたたくまに人気劇団となり、劇作家・演出家としてもパルコ劇場のプロデュース公演に起用されるなど、この世代のトップランナーとしての地位を確固たるものとしつつあります。

 「ポストゼロ年代へ向けて」では現代口語演劇の流れから少し離れた新潮流をポストゼロ年代演劇と位置づけ、柴幸男(ままごと)、三浦直之(ロロ)、篠田千明(快快)らを紹介してきました。ポストゼロ年代演劇と呼ばれる彼らには共通の特徴をまとめてみると1.その劇団に固有の決まった演技・演出様式がなく作品ごとに変わる2.作品に物語のほかにメタレベルで提供される遊戯的なルール(のようなもの)が課され、その遂行と作品の進行が同時進行する3.感動させることを厭わない――などですが、それまでの現代口語演劇中心の流れに対して、自ら「反・現代口語演劇」と標榜するなど積極的に名乗りを挙げて世代の代弁者となっているのが中屋敷です。
柿喰う客「悩殺ハムレット

【日時】6月22日(金) 7時半〜
【演目】「悩殺ハムレット」「露出狂」「真説・多い日も安心」など
レクチャー担当 中西理
【場所】〔FINNEGANS WAKE〕1+1 にて 【料金】¥1500[1ドリンク付]

※[予約優先]  定員20人ほどのスペースなので、予約をお願い致します。当日は+300円となりますが、満席の場合お断りすることもあります。

【予約・お問い合わせ】 ●メール fw1212+120622@gmail.com  あるいは BXL02200@nifty.ne.jp(中西) 希望日時 お名前 人数 お客様のE-MAIL お客様のTEL お客様の住所をご記入のうえ、 上記アドレスまでお申し込み下さい。 06-6251-9988 PM8:00〜 〔FINNEGANS WAKE]1+1 まで。 web:fw1plus1.info  Bridge Gallery & Bar 〔FINNEGANS WAKE〕1+1 大阪市中央区東心斎端1-6-31 リードプラザ心斎橋5F (東心斎橋、清水通り。南警察署2軒西へ)

柿喰う客プロフィール
2004年
中屋敷法仁のプロデュース団体として演劇活動開始。
旗揚げ公演『サバンナの掟』を上演。
その後も公演活動が続く。
 
2006年
1月、正式に劇団化。
10月、『人面犬を煮る』で川崎ラゾーナ・プラザソルの杮落とし公演に参加。
 
2007年
11月、『傷は浅いぞ』で、王子小劇場佐藤佐吉演劇賞」から【優秀演出賞】【最優秀主演女優賞】【最優秀助演女優賞】等を受賞。
12月、『親兄弟にバレる』で、フジテレビ主催「お台場SHOW-GEKI城」に参加。【TOKYO★1週間イチオシ!】受賞。
 
2008年
1月、『サバンナの掟』で世田谷パブリックシアター主催事業「フリーステージ」に参加。
3月、『恋人としては無理』で初のフランス公演(第17回フランシュコンテ国際学生演劇祭参加)。
6月、『俺を縛れ!』で王子小劇場主催「佐藤佐吉演劇祭」に参加。【最優秀作品賞】【こりっち賞】【シアターガイド賞】等を受賞。また、同劇場の最高動員記録を達成。
 
2009年
3月、『恋人としては無理』で初の国内5都市ツアー(横浜、愛知、福岡、大阪、札幌)。
9月、『悪趣味』上演。5周年記念公演。
11月、三重県文化会館のアーティスト・イン・レジデンス事業に参加。『スポーツ演劇「すこやか息子」』を発表。
 
2010年
1月、『宴会芸レーベル』で文化庁主催「オパフェ!」参加。

 ポストゼロ年代の演劇には「演劇なのか、ダンスなのか分からないもの」のように、物語の要素が薄かったり、解体・再構築されていたりするようなものが多いのだが、その意味でいうと柿喰う客の場合、スタイル自体は多様でありながら、きわめて「演劇らしい演劇」の体を崩さないところがひとつの特徴であろう。
 ただ、そのスタイルは従来の演劇作家と比べるときわめてポストゼロ年代的である。下にこの集団を観劇してから間もないころのレビューをいくつか引用してみたが、まず最初に気が付き、とまどったのは1本ずつの芝居のスタイル(様式)の偏差が大きすぎて、柿喰う客というのはこういう芝居をやる劇団ということを言いにくかったことだ。
 最初期に見たのは「恋人としては無理」「悪趣味」、そしてDVDを購入して映像を見た「真説・多い日も安心」の3本だったのだが、


柿喰う客「恋人としては無理」
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20090328/p2

 イエスとそれに従う十二使徒の物語を下敷きにした演劇だが、普通にそれが演じられるのではなく、奇を衒ったかとも思われる演出・演技法によって展開されていく。この劇団がどういうスタイルの劇団かはほとんど知らないで見たため、最初は「これはいったいどういうことなのか」と思ったのだけれど、しばらく見ていて思ったのは「これは惑星ピスタチオがやっていたスイッチプレイじゃないか」ということだ。厳密にいえばもちろん違うのだけれど、いろんな人が次々と同じ人物を演じていったり、ひとりの人が別の人物を演じていったりというスタイルは似ていることは確かだ。

 演技はどうやら単純なルールに基づいて行われていく。イエス(作中ではイエスくんと呼ばれる)とそれに従う十二人の弟子たちを巡る物語だが、弟子たちはもちろんのこと、ピラトやエルサレムの住人たちといった周囲の人物までをすべて5人の役者で演じるために、それぞれの人物はそれぞれ帽子、傘、本、酒瓶といった持ち物を属性として持っていて、それを持っている人がその人物だというルールに従って演技が行われる。

 つまり、例えばペテロ(ぺてろ)は「上着を肩から覆っている女」、ヤコブ(やっこさん)は「扇子を振り回す男」、ヨハネ(よはねっち、ぺてろの妹)は「ぬいぐるみを抱く女」、アンデレ(あんちゃん)は「書物を持つ男」、バルトロマイ(ばるぞー)は「新聞紙を振る男」、フィリポ(ふぃりぽ)は「酒を飲む女」、マタイ(まーくん)は「カバンを離さない男」、小ヤコブ(こぶさん)は「何かを被った男」、タダイ(たださん)は「帽子を被った女」、シモン(もんちゃん)は「傘を操る女」、トマス(とまちゃん)は「布に隠れる男」、ユダ(ゆだりん)が「ヘッドホンを装備した女」という風にそれぞれに見た目に分かりやすい特徴を持たせている。言いかえればそれを演じているのがだれだろうが「ヘッドホン」をつけておればそれはユダ、「上着」を覆っていればペテロ、「傘」ならシモン……といった風で「上着」なら「上着」、「ヘッドホン」なら「ヘッドホン」というモノが役者から役者へ手渡しで移動していくとそれに従って、「役」も次々と移動していくし、今度は特定の役者の方に視点を移して見ればひとりの役者がいろんなモノを手渡されることで、あるときは「ペテロ」ある時は「ユダ」といろんな人物を次から次へと演じることになるのだ。

 こういう風に文章で書くとなにかすごく複雑なことをやっている難解な芝居かのように感じるかもしれないが、実際に舞台を見ていると複数の人物が演じても最初はややとまどうけれど、次第に自動翻訳機能のように役者の演技の向こうに、十二使徒をはじめとするそれぞれの人物像が立体的に浮かび上がってくるのが演劇の不思議である。

 ただ、こういう類のものとしては偶然にもこの日のアフタートークゲストでもあった末満健一が作演出したTAKE IT EASY!「千年女優」を見ているので、スイッチプレイ的な演技・演出の様式的の安定度を比較するならば、そちらの方に軍配が上がるかもしれない。ただ、この日初めて見た柿喰う客には荒削りなところに若さの勢いを感じさせた。そういう意味では決してうまいとはいえないけれど、その荒削りに逆に無限の可能性を感じさせたブレークする直前の惑星ピスタチオに実際の演劇のスタイルではなく、舞台から匂ってくる匂いのようなものおいて逆に近い感覚を感じたのも確かなのである。

 この劇団の演技のもうひとつの特徴はある時はラップのような調子、別の時はそれとは全然違うがやはり早口言葉のようなリズムでとスピード感溢れるセリフ回しをすることだ。しかもそれを時には激しく動き回りながらするので、それはおそらく俳優にとっては相当な負荷の高さあり、それをかなしているのはなかなかに凄いことだと思う。

 もっとも、この日のスタイルというのはいつもそうだというものではなく、この「恋人としては無理」という作品だけのものではないかと思い、終演後確かめるとその想像はどうやら当たっていたようで、この舞台のスタイルにどうも完成度においてしっくりこないものを感じたのはそのせいもあるのかもしれない。いずれにせよ、どの部分がこの劇団の方法論において本質的なもので、どの部分がからなずそうじゃないかということは他の芝居も何本か見てみないと分からないと思われ、その意味で次の観劇の機会もぜひ持ちたいと思った。

柿喰う客「悪趣味」
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20090905/p2

ゼロ年代」と呼ばれた岡田利規、前田司郎、三浦大輔らの世代に対して、ポスト「ゼロ年代」と呼ぶべき一群の作家たちが登場しているのではないか。そんな風に強く感じさせられたのがこの春にこまばアゴラ劇場で開催された6人の若手演出家作品の連続上演、「キレなかった14才♥りたーんず」であった。元々、演劇ないしほかの分野のアートにおいて世代論だけで、作家を語るのは問題と考えたのが「関係性の演劇」「身体性の演劇」という基本タームを生みだし、時系列ではなく、共時的な作品構造において作品を語ろうというのが私の批評スタンスであった。

 そえゆえ、彼らをことさらに取り上げ「テン世代」などと言いだしている一部東京の新しいもの好きの言説に加担するべきかどうかには若干の躊躇があるのだけれど、前述の岡田らが基本的に現代口語演劇として平田オリザらの作業を継承しているのに対して、この新しい世代のなかにそういう先行世代の作風から身体表現への大きな揺り戻しがあり、その代表が快々(篠田千明)であり、この柿喰う客(中屋敷法仁)ではないかと思ったからだ。

 もっとも、快々についてはDVD映像ではいくつかの作品を観劇したものの実際に劇場で見たのはまだ「キレなかった14才♥りたーんず」での篠田作品と吾妻橋ダンスクロツシングでの小品だけで、劇団の本公演を見ていない。篠田は中心メンバーのひとりではあるけれど、快々自体は集団創作を標榜していて特定のリーダーはいないような構成になっているので、その立ち位置についての評価は保留しておいたおいたほうがいいかもしれない。いずれにせよ、柿食う客(中屋敷法仁)はこの後続世代のトップランナーのひとりであることは間違いないようだ。しかも、中屋敷の場合、アフタートークなどの場で「アンチ・会話劇」「アンチ・現代口語演劇」などと自分の立場をあえて挑発的に広言したりするところが興味深い。

 では実際の「悪趣味」はどんな作品であったか。一言で言えばコメディーの風味でまぶしたスプラッタホラー風活劇といったところだろうか。これまで見た中屋敷の作品「恋人としては無理」「学芸会レーベル」はいずれも素舞台に近いほとんどなにもセットのない空間に役者が身体ひとつで世界を構築していくような作風で、しかも少数の俳優たちが複数の登場人物を次々と演じ分けていくというようなものであった。そのため、作品の方向性自体は大きく異なるけれど、演技・演出的な部分で私が連想せざるをえなかったのは惑星ピスタチオ西田シャトナー)であった。

 しかし、この「悪趣味」は全然違う作風。劇場に入ると舞台上に崩れかけて地面に埋まってしまい上半分だけになってしまった鳥居とか、いかにもなにか出てきそうな古井戸(映画版「リング」に出てくるようなのを想像してほしい)がリアルに作りこんである凝りに凝ったセットが仕込んであって、それを背景になにやら森の中で「化け物」のようなものと戦いを繰り広げているらしい村人の集団や村に住むなにか秘密を持っているらしい一家、この森の村に伝わるという“化け狐”伝説を探りにきたという大学教授とその助手、森に自殺するために入ってきた女、近所の池にいるらしい河童とその一族、ゾンビーになって行き返った村長……という多彩な人物たちが入り乱れての活劇調の舞台である。

 誤解を恐れずにこれが私に先行する舞台との類似においてなにを連想させたかというと劇団☆新感線のスタッフによって上演された「犬夜叉」、あるいは大人計画の「ファンキー!!」などなのだが、その類似というのはそれほどでもなくて、この作品の感じさせるある種の質感、例えば映画や漫画などの先行テキストを縦横無尽に引用してコラージュしたような作風とか、全体に漂うどことなく作り物っぽくウソくさい雰囲気、B級っぽさに共通するものを感じたからだ。「――北東北の山深き寒村、霧田村。人を食い殺す“化け狐”伝説が残るこの村で身元不明の惨殺死体が見つかった時村人たちの運命の歯車は、少しずつ狂い始める―」というのが劇団公式サイトに掲載されている「悪趣味」の筋立てである。しかし、筋立てそのものはこの舞台においてそれほど大きな意味をそれ自体で持っているというわけでもない。「悪趣味」の表題通りにそれはむしろステレオタイプで陳腐といってもいいかもしれない。

 ステレオタイプ・陳腐などというと否定的なことを言っているように聞こえるかもしれないけれど、それでいいのだ。というのは「ステレオタイプ・陳腐な筋立てなのに面白い」というのがこの柿喰う客の特徴で、この集団、あるいは作・演出の中屋敷法仁にとっては物語も劇世界もそこで遊ぶための遊び場以上のものではないように思われるからだ。

 この「悪趣味」ではいかにもそれ風というB級ホラー的な世界を舞台に映画や漫画などからの引用あるいは元ねたをひねってのくすぐりなどをちりばめながら、役者たちの身体を駆使させて縦横無尽にその世界を遊んでみせる。そこのところの無茶苦茶さが面白い。実際、例えばホラーの常道であるどんでん返しを入れたために人物設定的にはつじつまが合わなくなってしまったところなども、解消せずにそのまま放置されていて、アフタートークでは「その方がB級ホラーっぽいから、その方がいいと思いあえてそうした」などと確信犯ぶりを強調している。

 実はこの「悪趣味」という作品を見て最初はひどく驚かされた。というのは冒頭でも書いたようにこれまでは中屋敷作品としては「恋人としては無理」「学芸会レーベル」の2本を見たのだが、この「悪趣味」はそれとはあまりにも作風が違いすぎて*3、彼らがどんなタイプの演劇を志向する集団なのかがはっきりと焦点を結ばなくなったからだ。

 実はこの日会場で売られていたDVD「真説・多い日も安心」も見てみると、AV業界と始皇帝が統治していた時代の秦を二重重ねにするというずい分変なことをやっているのだけれど、身体中を使ったり、走り回ったりしながらの演技はどう考えてもこれは野田秀樹じゃないかという感じなのだ。

 それで思ったのはこれはひょっとすると美術で言うところのアプロプリエーションではないのかということであった。

 これは美術評論家である椹木野衣の著書「シミュレーショニズム」 (ちくま学芸文庫) に出てくる用語なので詳しいことはそちらを参照してもらうことにしたいが、美術系のサイトからアプロプリエーション(Appropriation)の定義を探してみるとこういうことになる。


アプロプリエーションAppropriation

「流用」。既製のイメージを自作のなかに取り込む技法としては、すでに今世紀初頭の段階で「コラージュ」や「アサンブラージュ」が開発されていたが、「アプロプリエーション」は一層過激なものであり、「オリジナリティ」を絶対視する近代芸術観を嘲笑するかのようなその意図と戦略は、しばしば高度資本主義との並行関係によって語られることになった。代表的作家に数えられるM・ビドロ、S・レヴィーン、R・プリンスらが近年いずれも失速を余儀なくされているのを見ると、この動向が80年代のポストモダニズムとの密接な関係のうちに成立していたことが了解される。なお、流用に際して必ず何らかの変形を加えるのも「アプロプリエーション」の特徴で、代表的手法としては、引用よりは略奪と呼ぶのが相応しい「サンプリング」、切断を交えた「カットアップ」、絶えず反復する「リミックス」などが挙げられる。

暮沢剛巳

 要するに「サンプリング」や「リミックス」のことなのねと言われれば、まあ、その通り。シアターガイドのインタビューに中屋敷は次のように答えている。

 「本当に演劇オタクなので、影響ってことで言えば、野田秀樹さん風でもあり、松尾スズキさん風でもあり、KERAさん風でもあり、アングラ風でもあり……おいしいものを無理矢理くっつけてるんだと思うんです。最初から、自分の方法論がないところが、方法論になってたかな」

 これは特定のスタイルを持っていないことに開き直っているようにもとれるけれど、前述のアプロプリエーションなどを考慮に入れて考えれば、「おいしいものを無理矢理くっつけてる」(つまりサンプリング、コラージュ)自体が中屋敷独自の方法論と考えられなくもない。若手の劇作家の作品が自分ならではの方法論を模索している間、その人が好きな特定作家に似てしまうというのはよくあることで、最初は柿喰う客(中屋敷法仁)もこの段階かとも考えてみたのだが、これもう少し様子を見てみないと確実にこうだと言い切ることはできないのだけれども、どうやらこれは違う。ひょっとして、完全に確信犯だという印象を強く受けたのである。

 コンテンポラリーダンスの場合には珍しいキノコ舞踊団が「ダンスについてのダンス」(メタダンス)というような言われ方をしていて、最近は私はそれを「ダンスを遊ぶダンス」と位置づけているのだけれど、それになぞらえて言えば柿喰う客は「演劇を遊ぶ演劇」ということができるのかもしれない。そういう風に考えると中屋敷が自分の演劇人生の原点を学芸会だと考え「学芸会レーベル」という作品を創作したのは興味深い。珍しいキノコ舞踊団の伊藤千枝も自らのダンスの原点を幼稚園(保育園)時代のお遊戯会であるとしていることで、そういうところにもこの2つの集団には意外な共通点があるのかも考えさせられたからである。
1:http://kaki-kuu-kyaku.com/
2:シアターガイドによる中屋敷法仁インタビュー http://www.theaterguide.co.jp/feature/kaki/
3:前者が惑星ピスタチオなんかを連想させるとするとこちらは劇団☆新感線や昔の大人計画を連想させた

柿喰う客「いきなりベッドシーン」
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20100428
柿喰う客「露出狂」
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20100608
柿喰う客「THE HEAVY USER」
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20100721

柿喰う客「愉快犯」
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20110123
柿喰う客「悩殺ハムレット
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20111010

小劇場系の演劇でシェイクスピアの翻案・改作を行うのは珍しいことではないが、面白くやるということは簡単なことではない。ましてそれが「ハムレット」となるとなおさらだ。少し思い出して見るだけでもトム・ストッパードによる「ローゼンクランツとギルデンスターン」、横内謙介「フォーティンブラス」など「ハムレット」を下敷きにした2次創作作品やピーター・ブルックハムレットの悲劇」までさまざまな趣向での新演出など挙げていけば枚挙にいとまがないほどで、そういう前例を踏まえて新しいことをやらなければ意味がなくしかもそれを面白くというならなおさらハードルが高いからだ。

 柿喰う客(中屋敷法仁脚色・演出)版の「ハムレット」にはいくつかの特徴があった。最大のそれはすべて女優だけのキャストによる上演だということだ。シェイクスピアで女優というと「女たちの十二夜」が有名である。だが、これは主要なキャストを男装した女優が演じはするけれど、例えば道化役には生瀬勝久が出演するなど実は男優陣も出演していて、女優だけのシェイクスピアではない。青い鳥も「ハムレット」を上演したことがあり、これもハムレットは女優が演じているが、実は男の役を女優が演じ、女の役を男優が演じるという逆転バージョンのキャスティングなのだった。

 だから女優だけの上演は珍しい。と書きかけて重要な公演を失念していたのを思い出した。いるかHotelによるシェイクスピアの連続上演「The Comedy of Errors 〜間違いの☆新喜劇?〜」*1「からッ騒ぎ!」「十二夜!ヤァ!yah!」*2である。こちらは正真正銘、女優だけ(オールフィメール)によるシェイクスピア上演だった。もっとも同じ女優だけの上演と言っても、いるかHotelのはいずれも喜劇(コメディ)で、登場人物がすべて関西弁を話すことから、上方喜劇の風味がミックスされていたのに対して、柿喰う客が挑戦するのが四大悲劇のひとつである「ハムレット」であり、次も「マクベス」らしいから悲劇が当面続くことになりそうなのは志向の違いもはっきり出ていて興味深い。

 ただ今回の場合、本当の特徴はむしろ登場人物のすべてが渋谷にたむろしている若者のような口語体をさらにデフォルメされたような若者言葉を使っていることかもしれない。そのため、舞台の印象としてはデンマークの王家の人々の間に起こる争いというような側面は薄れて、下手したら不良グループの頭目同志の争いの程度にしか見えず軽薄との批判もまぬがれず出てくるとは思うのだが、その分、今の若者たちを中心とする観客には腑に落ちるようなイメージの読み替えだと思う。

深谷由梨香のハムレット右手愛美のガートルードとも魅力的だが、なんといっても異形の存在感を見せていたのはフォーティンブラス(七味まゆ味)。スキンヘッドに頭頂の髪のみを残したヘアスタイルにも吃驚させられた。当たり役だったと思う。

 もうひとつはシェイクスピアのテキストを最低限度必要だと思う部分を抜粋してつなぐような形で通常は3時間程度、すべてカットせずに上演すれば4時間以上がかかるともいわれている「ハムレット」を、スピード感あふれる演出ともからめて、コンパクトで見やすく仕上げていることだ。

 作品を短くするとカットされることも多い、フォーティンブラス、ローゼンクランツとギルデンスターンのくだりや劇中劇も原作通りにちゃんと流れを抑えて入れ込んでおり、ほぼ原作に忠実な物語に仕上げているところに中屋敷のセンスのよさを感じた。

柿喰う客「検察官」
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20111128
柿喰う客「絶頂マクベス
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20120430


http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/10001130